古都鎌倉は、老若男女を問わず、多くの人々が四季を通して訪れる人気スポットです。杉本寺は、金沢街道に面した大蔵山の中腹にあり、街道を行き来する車の喧騒をよそに、ひっそりとしたたたずまいのお寺です。
坂東三十三観音霊場だけでなく、鎌倉三十三観音霊場の第1番札所でもあり、鎌倉市で最も古い歴史を持つお寺です。そんな杉本寺のいわれや見どころ、御朱印などをご紹介しましょう。
目次
坂東三十三観音霊場とは
鎌倉時代に、畿内の「西国三十三観音霊場」に倣って成立しました。
真心をもって観音の御名をとなえれば、私たちの苦悩を救ってくださると、『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』の「普門品(ふもんぼん)第二十五」に書かれています。
観音様は、救う人間に応じて33の姿に変えて導いてくださるとあります。その33という数字にあやかって「三十三観音巡礼」が始まりました。
1番から33番まで、約1300㎞という長い道のりですが、海あり、山あり、ひなびた里やにぎやかな都会など変化に富んだ風景を楽しみながらお参りできるのが特徴です。
杉本寺とは
山号:大蔵山(だいぞうざん)
寺号:杉本寺(すぎもとでら)
宗派:天台宗
本尊:3体の十一面観世音菩薩
開基:行基菩薩(ぎょうきぼさつ)
奈良時代中期734(天平6)年に、聖武天皇の后である光明皇后の祈願により、藤原房前(ふじわらのふささき)と僧行基に命じて堂宇を建立させ、行基が十一面観世音菩薩を刻み安置したのが始まりです。
851(仁寿元)年に慈覚大師(じかくだいし)が参籠し、十一面観世音菩薩を刻み安置しました。また、986(寛和2)年に恵心僧都(えしんそうず)が十一面観世音菩薩を刻み、坂東第1番札所と定めたそうです。
平安時代末期1189年、火災が起こり堂宇は焼失しました。しかしその時、3体の本尊は自ら境内の大杉の下に逃れたと伝わります。そのことから「杉の本の観音」と呼ばれるようになり、寺名の由来となったわけです。
その後、1191(建久2)年に源頼朝により再興されたと伝わります。
杉本寺・入口の石段
金沢街道から石段を少し上ったところに受付があります。
杉本寺・山門(仁王門)
受付を通り、さらに石段を上ると、風格のある切妻造、茅葺八脚門の山門があります。運慶作と伝わる仁王様がお寺を守護しています。この山門は江戸時代18世紀半ばころに建立されたものです。
門の手前、やや左寄りに立ち、一礼をして入ります。この時、巡礼用の菅笠はかぶったままでいいですが、帽子などは脱ぎます。山門を出る時も一礼するのを忘れないようにしましょう。
杉本寺・苔むした石段(通行止め)
山門をくぐると、目の前に苔でおおわれた急こう配の石段が続きます。なんとも言えないしっとりとした雰囲気がかもし出されていて、歴史を感じさせてくれます。
よく見ると石段の左右がすりへっており、多くの人々が訪れたことを物語っています。残念ながら現在この石段は使用禁止となっており、左側の新しい階段を上っていきます。
杉本寺・大蔵弁財天と弁天池
山門の右手に弁財天を祀ったお社があります。小さなお社のわりに香炉があまりにも立派でちょっと驚きました。
帰りはこのお社の裏にある石段を使い、ここを通りませんので、行きにお参りをおすすめします。弁天様は金運アップや芸能上達にご利益があります。
小さいながらも弁天池もありました。
杉本寺・閼伽水(あかみず)
ここで手と口を清めます。
杉本寺の本堂は歴史を感じますね、左の階段も歩きずらかったような気がしていましたが、苔むした石段を上がってみたいです。3回行きましたが何とも趣のあるお寺ですね。あまりしっかり覚えていないので、次は鎌倉33観音様巡りをしたいと思っています。今度は五輪塔等しっかり見てきたいと思います。いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
鈴木様
いつもコメントをありがとうございます。杉本寺に3回もお参りされていらっしゃるとのこと。何度も行ってみたくなる趣のあるお寺ですよね。
いつか苔むした石段が修理されて使えるようになるといいですね。
杉本寺は鎌倉33観音霊場の1番にもなっていますので、また新たな角度から観察して味わってくださいませ。ご訪問ありがとうございました。