
明治時代に設立された新宗教の「大本教」について、学校で学んだことを覚えているでしょうか?この宗教の教祖である出口なおと共に、大本教の教祖として知られた霊能者の出口王仁三郎には、不思議な話がたくさん残っています。出口王仁三郎が残した功績や予言には、どのようなものがあるでしょうか?
出口王仁三郎と言霊
京都府亀岡市の貧しい農家に生まれた出口王仁三郎は、江戸時代の絵師である円山応挙を祖先に持ち、上田喜三郎という名前で育ちました。
身体が弱かったので、小学校に上がるのが遅れたものの、頭は非常によかったようです。
また祖母のウノが江戸時代の秘教的言霊学者である中村考道の妹であり、彼女も言霊学という言葉にひそむ霊的な意味や諸力について詳しく、出口王仁三郎が幼い頃から知識を彼に叩きこんだのだそうです。
その結果として、この言霊学が彼の将来の予言や霊能力の発揮に、大いに役立ったと言われています。
幼い頃に目覚めた霊能力
出口王仁三郎が7歳の頃、彼が住む亀岡市の穴太村(あのうむら)付近が、かつてない干ばつに見舞われ、村中の井戸が枯れ、いくら掘っても水が出なくなり、人々は途方に暮れるという出来事が起こりました。
そのとき、出口王仁三郎が突然地面に耳をつけて大人たちに「おっさん、水の筋はこのへんや!」と教えたのだそうですが、子供の言うことなど大人が信用するわけもなく、追い払われてしまいます。
しかし彼が言ったことが気になった大人が、出口王仁三郎が水の筋と示したところを掘ってみると、なんと水が湧きでて、その村が救われたのです。それ以降、人々はこの神秘的な子どもに注目をするようになったのです。
紆余曲折の人生
子どもの頃、明智光秀の居城であり、そのときはすでに廃墟となっていた亀山城跡に立った出口王仁三郎は、いつかこの地に自分が城を築きなおすと言い放ちますが、その場がのちに大本教の本部を置く梅松苑となったのです。
明治31年には、村のならず者たちに殴られて気を失っている間に、彼は天狗に出会って、その天狗と共に亀岡にある高熊山の洞窟で神秘体験をしたのです。そして1週間後に自宅に戻ってくると、今まで以上に超能力が開花し、村人の病気を治す奇跡を起こしたり、透視で予言をするようになっていったのです。
明治31年に大本教の教祖である出口なおと出会い、お互いに優れた霊能者であることを認め合い、大本教の原型を二人で築いてゆきました。その後、出口なおの五女である出口すみと結婚し、婿養子となったため、名前も上田喜三郎から出口王仁三郎に改名しました。
しかし日本の戦争に関する予言をしたり、神秘的な予言を発表したことで、日本の神道を汚し、皇室をも冒涜したなどとして、拘束されてしまいます。その後も国家に反する言動が元で、何度も弾圧を受けたり逮捕されたりしてしまいました。
ことごとく当たった予言
出口王仁三郎の予言はその的中率の高さで有名なのですが、特に日露戦争、世界第一次、第二次大戦に関しては、どのように始まり、どのように終わるかを見事に的中させたと言われています。
また「日本列島は全世界のひな型である」とも述べ、本州がユーラシア大陸、北海道が北アメリカ、九州はアフリカ、四国はオーストラリア、そして台湾が南アメリカであると説き、「日本で起こることは世界でも起き、世界で起こることは日本でも起きる」としていました。
このほか、後の世にテレビというようなものや、携帯電話の出現も予言し、時速700キロの弾丸列車が地上を浮くように走ると、なんとリニア中央新幹線の出現まで予言していたと言われています。
残した予言とは
これから起こるかもしれない出来事についても、出口王仁三郎は予言を残しており、大地震と戦争による被害を唱えていたそうなのです。それは阪神大震災よりも大きな災害やダメージを受ける何か…であるとされています。
また電波がこの地球上に溢れるばかりに使われるようになることで、宇宙の調和が乱されて地上はおかしなことになってくるとも話したと伝えられています。
これらの危機を乗り越えるには、日本がしっかりすることや、何が正しいかを今ここでよく考えて、人々が神々の教えに目覚めることが大切であると説いていたそうです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
宗教団体の教祖としてしか名前を知らなかった方も多かったのではないかと思いますが、出口王仁三郎は、希に見る霊能者であり、そのユニークな個性ゆえに苦労をしながらも人々を救い、多くの警告を発し続けた人だったのです。
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