ライフ

北条政子名言|「尼将軍」とも言われた女傑から学ぶ4つの言葉

北条政子 名言

鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室、北条政子。

悪女扱いされることも多いですが、比較的強い立場と権利を持った女性が古くからいた日本の中でも、実質自分が最高権力者となり「尼将軍」とも言われたことがあるほどの女傑であるとも言えます。

今回はそんな女性の身で将軍とまで呼ばれた北条政子の残した名言の中から、そう呼ばれたほどの理由が分かり、私たちが学ぶべきことを教えてくれる名言を御紹介させていただきます。



こちらの記事もご覧ください。
▶︎ 【女性の偉人名言集】心に響く言葉まとめ
▶︎ 【世界名言集】偉人から人生を学ぶ最高のヒントまとめ一覧

①相手が見せた覚悟を評価する姿勢

「私のあの時の愁いは今の静の心と同じです。義経の多年の愛を忘れて、恋慕しなければ貞女ではありません」

この北条政子の名言は、謀反人源義経への思いを語った静御前に激怒した夫である源頼朝を止めた一言。

説明すると少々長くなるのですが、事の起こりは鎌倉幕府成立記念の鶴岡八幡宮での大花見会の席のこと。

その記念すべき花見の席に静御前に舞を躍らせることにしようと決まったのですが、静御前は源義経の妾。到底源頼朝率いる鎌倉幕府のために舞う気にはなれませんでした。

しかし静御前は、飢饉の際に「雨乞い神事」を行い、ただひとり雨を降らせる事ができた「神に届く舞」を舞う白拍子として、後白河法皇から「都一」つまり「日本で一番」のお墨付きをいただいている女性でもあり、北条政子は

「天下の舞の名手がたまたまこの地に来て、近々帰るのに、その芸を見ないのは残念なこと」

として頼朝に、再度静御前を舞わせるよう頼みます。

そして頼朝は彼女に

「舞は八幡大菩薩にお供えするものである」

として、この席で舞うのは鶴岡八幡宮に奉納する神への奉納であり、これは神事だとして神に捧げる舞を舞う白拍子としての静御前に参加を半ば強要します。

こうなってしまっては舞うしかなく舞い始めるのですが、その舞の中で静御前は謀反人源義経への思いを語って舞って見せ、己の覚悟を示すことになります。

この記念すべき席であり、鶴岡八幡宮に奉納すると言う舞台なのですから鎌倉を讃える歌を舞うべきであるにも関わらず、謀反人である義経に恋する歌を歌ったことで当然将軍頼朝が激怒。

しかし北条政子はこの時この名言「私のあの時の愁いは今の静の心と同じです。義経の多年の愛を忘れて、恋慕しなければ貞女ではありません」と語り、自分と頼朝の辛いスタートだった時のことを思い出させ、怒りを鎮めて見せたと言います。

この花見の席には鶴岡八幡宮を埋め尽くすほどの鎌倉御家人たち(頼朝配下の武士)が参加しており、その中で将軍を止めてみせ、相手の覚悟を評価するべきだと語った北条政子もまた覚悟を示して見せたと言え、北条政子の覚悟を尊重し、評価して見せる度量と芯の強さをこの名言は教えてくれます。

自分の意に反することを許すと言うのは中々出来ないことですが、それが出来る人こそ周りから評価されるほどの人になれるということなのでしょう。

②身を張ってまで間違いを正そうとする心

「景盛を討つならば、まずわたしに矢を射ろ」

この名言は自分の長子頼家に対して北条政子が送ったとされる名言。

この名言こそおそらく日本で最古の今でこそ創作の世界や冗談ぐらいでしか言われない「俺の屍を超えていけ」とか「自分のワガママを通したいというなら私を殺す覚悟でやれ」という類のもので、他人の間違いのために自分の身を呈してまでそれを止めようとする姿勢を見せた名言です。

鎌倉幕府は頼朝亡き後、長子の頼家が家督を継ぎ、北条政子は出家して尼になり「尼御台」と呼ばれるようになったのですが、実はこの長子頼家はあまり聡明な権力者と言うわけではなく、若くして最高権力者となってしまったこともあり、鎌倉幕府統治の基盤に亀裂を入れます。

若くてして生まれながらの支配者になることが決まった彼はまるでお手本のような「親の七光り」による独裁を始めたのです。

そしてついに頼家による独裁に耐えかね御家人たちの反発が起き、正治2年(1200年)に頼家の専制を抑制すべく大江広元、梶原景時、北条時政など老臣達による十三人の合議制が定められたのですが、彼の性格や意識を変えることは出来ず、頼家は結局ワガママを止めません。

そんな中、ある時頼家が鎌倉幕府の有力御家人である「安達景盛」の愛妾を奪う不祥事が起き、それを怨んでいると知らされた頼家は逆切れし、彼を討つため兵を挙げようとします。

多少のワガママならばともかく明らかに公私混同極まりないこれに対し、北条政子は彼を止める調停のため安達景盛邸に入り、使者を送って頼家を強く諌めて「景盛を討つならば、まずわたしに矢を射ろ」と申し送り、その後も将軍頼家を重ねて訓戒して騒ぎを収めさせたと言います。

この後も結局、頼家は数々の問題を起こし北条政子の命で出家させられて将軍職を奪われ、伊豆の修善寺に幽閉されてしまうことになるのですが、例え相手が将軍であろうとも、我が子であろうとも、人のために身を張って堂々と間違いを正してみせる強さを北条政子は持っていたことをこの名言は教えてくれます。

正しいことは正しい、間違ったことは間違っていると恐れず言え、行動して見せる一貫性は誰もが持てることではありませんが、それは誰もが憧れる姿でもあるのです。



③辛い現実の中で最後まで戦う姿勢

「子供たちの中でただ一人残った大臣殿(実朝)を失いこれでもう終わりだと思いました。尼一人が憂いの多いこの世に生きねばならないのか。淵瀬に身を投げようとさえ思い立ちました」

この名言は夫どころか全ての子供にまで先立たれた北条政子の残した言葉として『承久記』に記されている名言。

北条政子は世間ではかなりの悪女のように扱われることも多いですが、彼女が歩んだ辛い道のりを考えたのならば、むしろ彼女につけられたそのレッテルは辛い運命の中で必死に何とかもっと良い世の中にしようとあがき頑張った結果であり、ちょっと酷評なのではないかと考えることも出来るのです。

そもそも生まれが地方豪族の娘である中、源頼朝との出会いや鎌倉幕府立ち上げまでの道のりでも散々苦労の連続であると言うのに、その後の鎌倉幕府統治の始まりでもいきなり問題を抱え、夫に先立たれ、後を託す長子に安心が出来ず、更に自分が子供に自分で育ててはならない環境で子供を不幸な目に合わせることも多かったです。

そしてついに自分の子供全てを失うことになりこの名言

「子供たちの中でただ一人残った大臣殿(実朝)を失いこれでもう終わりだと思いました。尼一人が憂いの多いこの世に生きねばならないのか。淵瀬に身を投げようとさえ思い立ちました」

を語ったと言います。

しかしここで折れずに戦い続け、鎌倉幕府の支配を継続させるために奮戦し、ついには日本の歴史上数少ない「朝廷の権力」に逆らって勝ちを収めるまで強固な権力基盤を作り上げ、彼女は戦い続けたのです。

それは評価されてしかるべきことであり、それだけの辛さと向き合いながらも生涯逃げずに為政者として関わり続けた姿は悪女と言うのはどうかと思わせるのがこの名言です。

自分の信念に殉じ戦うその姿勢は失うものも多く、成功したらしたで周辺から批判されたりもするでしょうが、それでもやらなくてはならない一心でやると言うのは普通出来ないことです。

④本気の思いが生んだカリスマ

「皆心を一にして奉るべし。これ最期の詞なり。故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い、逆臣の讒言により不義の綸旨が下された。秀康、胤義(上皇の近臣)を討って、三代将軍(実朝)の遺跡を全うせよ。ただし、院に参じたい者は直ちに申し出て参じるがよい」

この名言は『承久の乱』の際に朝廷から鎌倉幕府将軍・北条義時討伐の命令が出され、動揺する御家人に対して、北条政子が演説した『最後の詞』と言われるものの一部を少し現代語にしたものです。

鎌倉方が承久の乱に勝利する原動力となったものこそがこの名言であったとも言われており、鎌倉の御所に集まった御家人たちは、北条政子のこの言葉を聞いて感激して涙まで流し、京都へと向かい朝廷の軍と戦う決意をしたそうです。

北条政子は、自身の北条家の覇権確立のために我が子や孫を排斥した悪女という風に捕らえられもしますが、いくら演技がうまかったとしても本当にそんな冷淡な人物が「鎌倉幕府のために戦って欲しいが、自由にしていい」と語ったら上層部まで巻き込んだ、朝廷に敵対するほどの士気を持たせられたとは考えにくいと思います。

そもそも日本の歴史の中で朝廷からの命令と言うものは非常に強いものであり、朝廷の存在が実生活に何の影響も与えない時代であろうとも日本人の精神面に強い強制力を生むもので、士気をガタ落ちさせ朝廷の敵に回って勝ったという戦は多くありません。

その数少ない一戦を勝たすだけの人を集め、士気を持たせた北条政子のこの名言は、それだけ本気で自分の夫であった源頼朝と鎌倉幕府統治の世界のためを思い 、普段から行動していたと周りに思わせることが出来るものだったのではないかと思います。

いつも本気で諦めず行動し、一貫してブレない姿と本当は優しい所もある人物。そんな人だからこそ女性で「将軍」とまで呼ばれたのではないかと思いますし、そうした人物こそが人を引き付けることができる人なのだとこの名言は教えてくれます。


北条政子の名言4ついかがだったでしょうか?

北条政子の評判は正直あんまり良くない方が主流だと思いますが、こうした所もあったということを知っていただけたなら幸いです。

また実際に政治手腕に長けた人であり、全くの0から政府を立ち上げることに協力した事と、実際に傾いた政治の舵取りをして持ち直させたところから、日本の歴史の中でもかなりハイレベルな政治家であったという面もあり、その部分も別の機会に知っていただきたいと思います。

こちらの記事もご覧ください。
▶︎ 【女性の偉人名言集】心に響く言葉まとめ
▶︎ 【世界名言集】偉人から人生を学ぶ最高のヒントまとめ一覧

あなたの好きな人は本当に運命の人?

97%の人が当たっていると実感!
その中でも恋愛運が女性から大人気!

片思い中の人も、いまお付き合いしている人も、自分の本当の運命の人は誰なのか知ってみたくないですか?

あなたが選んだタロットカードや生年月日をもとに導き出される 『恋愛タロット占い』が大好評!

いつ、どこで運命の人と会えるのかも今なら期間限定で診断カルテを無料でプレゼント!

この機会にあなたの運命がどうなるのか知りたい方は是非やってみて下さい。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ある程度の長さの平仮名や漢字が含まれないコメントは受付けておりません。(スパム対策)

error: Content is protected !!