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今川義元 名言|実は凄い武将だったことがわかる5つの言葉

今川義元 名言

今川義元と聞くとどんな人物像を思い浮かべるでしょうか?

おそらく多くの人が「織田信長に滅ぼされた人」とか「強くない武将」などあんまりかっこ良くない武将なイメージがあるかと思います。

しかし今川義元は「東海一の弓取り」とも言われた武将であり、武田信玄率いる最盛期の武田、北条氏康率いる最盛期の北条と互角に戦った武将であり、実際は凄い人物であったのです。

そこで今回は今川義元が実は凄い人だったことが分かるような名言をご紹介したいと思います。







学力向上を政策に盛り込んだ名言

住職は弟子の持つ智恵や能力を検討せずに、勝手に寺を譲ってはならない

この名言は「今川仮名目録追加」にて記された名言です。今川義元が実は学力の低下を大問題だと捉えていたことがわかる名言。

まず「今川仮名目録追加」とは、今川義元が「自分こそが自分の領国を治めるため」に定めた法令で、戦国大名たちが「自分こそが自分の領国を治めるため」の法令を作るようになったきっかけになったと言われています。

そして今川義元がこのルールの中に盛り込んだ1つがこの名言「住職は弟子の持つ智恵や能力を検討せずに、勝手に寺を譲ってはならない」でした。

今川義元は幼少期にお寺で学問も学んでますし、生まれが良くこの時代でもトップクラスの教養人でした。さらに臨済宗の僧侶(禅僧)で今川家の家臣である「太原雪斎(たいげんせっさい)」の軍師としての働きぶりを良く知っていましたので教養の高い人間の必要性を痛感していたのです。

その為この名言は今川義元が学びの大事さを知る人であり、意外と知的な面を持っていたことを教えてくれる名言なのです。

息子に送った名言

汝既に成長しけれども、童心未だ失せず

この名言は今川義元が息子の氏真に送った手紙の一節、もっと具体的にはいつまでも遊んでばかりいる息子を嘆いた文面の一部。

例えば今川義元にはいつからか「暗君」「公家かぶれ」「蹴鞠好き」なイメージを抱く人が多いのですが、実はこれらは全て今川義元の息子「今川氏真」について残されている特徴です。

逆に今川義元の悪評につながりそうな特徴に近いのは、経済発展に尽力した結果かなりの金持ちになっていたこと、家柄が良いので公家や将軍家とのパイプもあったとされていることぐらいでして、いつからかこの親子が混同されてしまっているようにも考えられます。

むしろ今川義元は彼が定めた法令を見る限りではかなりきっちりかっちりとした組織運営を重んじる人だったようで不真面目を嫌う性質が見え隠れします。

部下への責任を持たせた管理体制の名言

寄親(よりおや)は今川家への奉公を第一に心がけ、与力(よりき)にもそう言葉かけよ

この名言は「今川仮名目録追加」にて記された名言で、今川義元が組織運営をするのに適した思考を持っていたことを教えてくれる名言。

この法令の中に「寄親」と「与力」と言うものがあって、自分の家臣たちを各地に派遣して「寄親」と定め、それぞれの地域を支配させ、その地域の農民を「与力」として小集団の指揮を取らせたのです。

イメージは会社の組織図のピラミッド構造の指揮系統です。

それまでは大名の下に家臣、その下に農民と言う凄く大雑把な編成で責任の所在が誰にあるかも分からず、うまく末端を動かせなかったのですが、この「寄親」と「与力」システムによって明確に誰の責任かが分かるようになりました。

こうなってしまえば割り当てられた部下の面倒を上司はしっかりと見るものです。

これまでと違って誰が責任を取るか明確になっているため言い逃れが出来ないですし、自分の部下があげた功績は明確に自分の功績として評価されるからです。

実際この組織運営方法により戦場では組織立った行動を可能とし、指揮官が現場に不在でも行動できる軍を作り上げ、勢力拡大に成功。

勢力拡大に成功した後の組み込んだ土地もこのシステムで速やかに治めることに今川義元は成功しています。

その為この今川義元の名言は彼が近代組織の雛形のような組織を生み出す発想力と運営能力を持っていたことを教えてくれる名言なのです。

苛烈な意思が表現された名言

義元の矛先には魔物だろうと鬼だろうとかなうまい

この名言は織田信長の本拠地である尾張を2万5千人の大軍で進行した際に残したとされる名言であり、今川義元の苛烈な意思が垣間見えるような名言。

実は今川義元は信長に1度目は信長の初陣で指揮を取った戦いで火矢による丸一日中の火攻めで軍を破られ、2戦目は自分が日本で最初に戦場に導入した鉄砲をよりうまく活用され小競り合いで負けています。

そこで今川義元は信長を全うな人間としては扱わず、叩くべき「悪鬼羅刹(あっきらせつ)」だとして2万5千もの兵力を集め信長の国尾張に攻め入ることにします。

2万5千人の軍勢がどれほどの規模であったのかがいまいち分かりにくいかと思いますが、これはそれまで当時どんな大名さえも集めたことのない規模であり、しかも相手側の織田信長の総兵力が4千だったと言うと少し想像できるでしょうか?

しかも更には兵の質でも戦国最強の騎馬隊を持つ武田軍や、関東最大勢力を誇る北条との激戦を戦い抜いてきた今川軍と、弱兵で知られた織田軍では勝負にもならんと言われたほど。

それでも今川義元はこの大軍勢を組織的に運営し、全力でぶつけ、文字通りそのまま「矛」として次々と尾張の城を落としていきました。

そんな中この名言「義元の矛先には魔物だろうと鬼だろうとかなうまい」と今川義元は語ったのです。

そして更に苛烈に攻める意思を持ち、相手にはもう城が残り少ないことをみると大名無しで戦争が出来る自慢の軍を3部隊を分けて更に進軍を続けさせました。

自分は桶狭間に多くない戦力と共に残ったままに。

この名言は今川義元の苛烈な意思を感じさせると同時に実は本当の桶狭間の敗因も教えてくれる名言なのです。

今を大切に考える名言

昨日なし 明日またしらぬ 人はただ今日のうちこそ命なりけれ

この名言がおそらく最も広く知られた今川義元の名言であり、今川義元が今を大切に生きることの出来る人物だったことを教えてくれる名言。

この名言は、昨日はすでに過ぎ去ってしまった。明日のことはわからない。今日一日こそ全てで大切。と伝えてくれているのではないでしょうか。

常に周りが敵だらけの戦国時代ならそれは尚更の事であり、もし今川義元が大きな偉業を成し遂げる基盤とも言える思考です。

やはりこの名言「昨日なし 明日またしらぬ 人はただ今日のうちこそ命なりけれ」の言葉が示すように今日という一日を無駄にせず命を燃やして生きてきた証が歴史に大きく刻まれています。

まとめ

今川義元の名言5ついかがだったでしょうか?

おそらく多くの人が今川義元に対するイメージが変わったのではないかと思いますし、今回ご紹介した名言から何か学べることもあったかと思います。

意外と歴史の有名人に倒された、踏み台にされた人って調べてみるとこうしたちょっと違う事実を持っていますので興味が湧いたら是非調べてみて欲しいと思います。

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  1. アバター 今川河童 より:

    昨日なし明日またしらぬ
    人はただ今日のうちこそ命なりけれ
    この区切りなので意味が違うかと、、
    詳しくはお調べください

    • アバター Written by より:

      この度はご訪問いただきまして誠にありがとうございます。名言に関するご指摘をいただきまして、編集部で早急に調べまして記事を修正させていただきました。区切りで意味が違うという視点が本当に素晴らしいなとしみじみ思いました。コメントいただけたことに感謝してこれからも精進して参りたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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