京都府八幡市にある男山は標高142メートルの山で、京都と大阪を結ぶ要衝の地にあります。その山上にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、日本三大八幡宮の一つであり、戦国時代の武将たちが出陣の前には必勝祈願をしたといいます。神宿る山に、歴史的エピソードもいっぱいの国宝石清水八幡宮をご紹介します。
目次
ご祭神
中御前 応神天皇(おうじんてんのう)
東御前 神功皇后(じんぐうこうごう)
西御前 比咩大神(ひめおおかみ)
これら三座のご祭神を総称して八幡大神(はちまんおおかみ)といいます。
歴史
平安時代の初め、859年に奈良大安寺の僧行教和尚(ぎょうきょうわじょう)が、豊前(大分県)の宇佐八幡宮にこもって祈祷していたところ、八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」というおつげがありました。そこで、行教和尚は男山の峯に御神霊を奉安しました。
860年に、朝廷の命により社殿が造営されました。男山は、都の南西に位置する裏鬼門として、北東の鬼門を守る比叡山延暦寺とともに、都の守護にあたりました。
935年~941年の平将門・藤原純友の乱の時には、朝廷からの請願を受けて八幡大神に祈祷し、その御神威で乱が平定されたといいます。それ以後、国家鎮護の社として、朝廷の崇敬が厚くなりました。また、八幡大神を氏神とする源氏一門の崇敬も厚く、源頼朝も5度参詣しています。
その後も、織田信長、豊臣秀吉、徳川家光などにより社殿の修復や再建、造営がなされてきました。
明治の初めに、官幣大社になり、「男山八幡宮」と改称されましたが、1918年に再び石清水八幡宮と改称されました。
見どころとパワースポット
ケーブルカーから南総門
石清水八幡宮へは5つのルートがあります。一番楽なのは、男山ケーブル(片道200円、15分毎に運行)を利用することです。ケーブルカーの鉄橋としては、日本一高い鉄橋(50m)を通って3分で山上駅に着きます。
私は、山上駅から右手西側の参道を通って、南総門から入るルートを取りました。
南総門の手前左手に朱色の手水舎があります。そこで手と口をすすいで、いざ本殿へ。
南総門の前もパワースポットです。総門から本殿を望みながら願い事をすると叶うそうですよ。
本殿(国宝)
本殿の二棟は、現存する八幡造りでは最大にして最古の建物で、幣殿・舞殿・楼門・廻廊・武内社などから成ります。
本殿の中に鎮座する武内社は、武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)が祀られています。武内宿禰命は、応神天皇、神功皇后に側近として仕え、300歳以上生きたという伝説があり、延命長寿の神として信仰されています。
現在の社殿は、1634年徳川家光によって造営されたものです。
2016年2月、本殿を含む10棟と棟札3枚が国宝に指定されました。それより以前の2008年12月には、摂社5社と総門3門が重要文化財に指定されています。
八幡造りの本殿は、楼門を中心に、大鳥が両翼を広げたように廻廊が延び、2階の檜皮葺の屋根と瓦葺きの屋根とが調和して、荘厳で華やかな美しさがあります。軒には極彩色の虎や龍の彫刻が施され、八幡様のお使いである神鳩の飾り金具が光っています。よく見ると右側の鳩は少し口を開けています。阿吽の狛犬の役目を果たしているそうです。
ここが何と言っても一番のパワースポットです。
この本殿は、参拝者が帰る時に、神様に背を向けることにならないようにと、南総門から見て、少し西向きに建てられているそうですよ。
本殿の背後に、重要文化財の水若宮社を初め7棟の摂社と校倉(あぜくら)が並び、本殿とともにパワーの源となっています。
信長塀(のぶながべい)
本殿の左側、西総門(重文)に連なる塀は、織田信長が寄進したと伝えられる「信長塀」です。瓦と土をいくつも重ねて分厚く作られており、銃撃から守り、耐火・耐久にも優れていたといわれています。
楠木正成(くすのきまさしげ)奉納のクスノキ
本殿の左に、1334年、楠木正成が必勝祈願に参拝した時に、奉納したと伝えられる大クスノキが信長塀の外から元気よく顔を出しています。
樹齢700年近いご神木です。正成さんと信長さんのパワーをいただけるスポットです。
三ノ鳥居
ふもとの一ノ鳥居から二ノ鳥居を通って表参道を歩いてくると、三ノ鳥居、南総門、本殿へと行き着きます。昔はこのコースが一般的だったのでしょう。三ノ鳥居から南総門への道も神聖な空気が流れていました。
一ツ石(ひとついし)
三ノ鳥居をくぐるとすぐ前にあります。昔は競馬の出発点だったそうで、「勝負石」とも呼ばれる勝運の石です。ここで勝運のパワーをいただきましょう。
石清水社(いわしみずしゃ)
東側の参道から少し降りた男山の中腹に、石清水社があります。石清水八幡宮の摂社で、山上の八幡大神より古く、天之御中主神(あめのみかなぬしのかみ)を祀っています。
正面の石清水井は、冬に凍らず、夏に涸れない霊泉とされる清水が今も湧き出ており、石清水八幡宮の社号の由来となったところです。
昔は皇室や将軍家のご祈祷の際に、現在でも毎月の祭典では当日の早朝、この霊水を汲み山上の八幡宮にお供えします。ぜひ霊泉のパワーをいただきましょう。
石造りの鳥居は、1636年に京都所司代から寄進されたもので、石柱に「寛永の三筆」と言われた松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の筆による銘文が彫られています。境内に完全な形で残る鳥居としては最古のものです。
松花堂昭乗は、「松花堂弁当」の名称由来の人物です。昭乗は、真言密教を究めた高僧であり、絵画、書道、作庭、茶道、和歌などにも優れた文化人でした。54歳のときに、この石清水社より少し下った所に方丈の「松花堂」を建てて隠棲し、56歳で亡くなります。四角い弁当箱に四つの仕切りを入れて、美しく盛りつける「松花堂弁当」は、昭乗が愛用した絵具箱をヒントに、吉兆の店主によって考案されたのが始まりだそうです。
※松花堂弁当のイメージ写真
その「松花堂跡」に行ってみたかったのですが、上から下りてくる人も下から上ってくる人もなく、ちょっと寂しげで、女性一人では心細くなり、断念して引き返すことにしました。なお、松花堂の建物は、松花堂庭園(八幡市八幡女郎花43番地の1)で保存されています。