東京十社のひとつである神田明神は、1300年前より続いている由緒ある神社です。
江戸時代より江戸東京の108の街の総氏神として見守り続けているので、東京に住むなら必ず参拝にいっておきたいですね。24時間開門している珍しい神社でもあります。神田明神では御朱印もいただくことができます。また歴史上の人物とも深い関係があるんです。
そんな神田明神の御朱印と見どころについてご紹介していきます。
目次
神田明神の御朱印
御朱印に興味があるのであれば、東京の神社を巡る旅・東京十社の一つでもある神田明神。
神田明神でも御朱印をいただくことができます。
もちろん御朱印を目当てで参拝に訪れる人も多いですね。御朱印帳を手にした参拝者の姿は神田明神でも例外なく見ることができます。
特徴と受付時間
神田明神の御朱印は拝殿の横にある社務所でいただくことができます。
「神田明神」または「神田神社」と書かれた御朱印です。神田明神の御朱印は細めの線ですが、スッキリとした文字感があり、非常に味があります。御朱印を書いていただく人によって、文字の特徴が分かれるのも面白いところです。
現在では、日付け以外は押印のものになっています。
御朱印の受付時間は、午前9時から午後4時までです。御朱印をいただく時も多少、並ぶことが予想されるので時間に余裕を持って参拝してくださいね。
御朱印帳は、午前9時から午後4時30分まで販売しています。数に限りがある様で売り切れの場合がある様です。
御朱印帳
神田明神にはオリジナル御朱印帳も紺色・赤色が用意されています。
神田明神のものと、東京十社専用の御朱印帳があるので、好みに合えば購入しても良いでしょう。
また、神田明神はアニメ「ラブライブ」の舞台になっていることから、ラブライブの御朱印帳もあります。
神田明神では1年を通して様々な催しが行われているので、いつも人がいるイメージです。
神田明神の歴史
神田明神は非常に歴史のある神社です。
社伝によれば730年に出雲氏族出身の真神田臣が武蔵国豊島郡芝崎村に大己貴命を祀って社を建てたのが始まりだと言われています。
現在では神田明神という名で親しまれていますが、正式には「神田神社」といいます。
御祭神
御祭神は国造りの神様で有名な「大己貴命」、国造りのペア神として知識・造物の神とされている「少彦名命」、そして歴史上に実在した人物であり厄除け・勝負の神とされる「平将門命」です。
- 一ノ宮・大己貴命(おほなちむ)
- 二ノ宮・少彦名命(すくなびこなのみこと)
- 三ノ宮・平将門命(たいらのまさかどのみこと)
歩み
939年に反乱を起こして一時関東を支配した平将門は、藤原秀郷らに討たれ京でさらし首にされた後、芝崎村の当社近くに葬られました。現在も東京大手町に将門の首塚として残されています。
鎌倉時代後期、周辺で疫病の流行や天変地異が相次ぐと、将門の祟りだと噂されました。それを聞いた時宗の僧・他阿真教が塚を修復して将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈り、さらに1309年には神田明神に将門を合祀したと伝えられています。
境内には他にも三稲荷社、三天王社などの末摂社が建ち並び、記念碑も多いのが特徴です。
御朱印が人気あるのもうなずけますね。
神田明神の見どころ
御朱印をいただきに来た神田明神の境内はそれほど広くはないですが、摂社・末社や碑石など見どころが多いという特徴があります。
そんな神田明神の中でも特に見てほしい見どころをご紹介します。
随神門
境内の入口にあたる「随神門」は、見る人を圧倒する迫力です。
入母屋造銅板瓦棒葺の重層門で1975年に昭和天皇即位50年の記念事業の一環として建てられました。
四神
四神(朱雀、白虎、青龍、玄武)や将門に纏わる繋ぎ馬、大国主の登場する因幡の白兎をモチーフにした彫刻が施されていて、正面に随神像、右に豊磐間戸神像、左に櫛磐間戸神像が安置されています。
だいこく様尊像・えびす様尊像
境内には御祭神でもある「だいこく様尊像とえびす様尊像」があります。
石造りの大黒像としては日本一の大きさであるだいこく様尊像は、高さが6.6メートルあり、穏やかな表情が印象的です。
素晴らしいご利益を頂けそうな「日本一の大黒様」です。
えびす様尊像は亀やイルカ、鯛などに守られて波の中をゆくユニークな像になっています。
神田明神では少彦名命と同一の神としてお祀りされています。
少彦名命(えびす様)は、明治7年に明治天皇が行幸するにあたり天皇が行かれる神社に朝敵である平将門が祀られていることは問題があるとして、神田明神の御祭神から平将門が外されてしまいます。
その代わりとして、少彦名命(えびす様)が茨城県の大洗磯前神社から勧請されました。
銭形平次の碑
本殿を右手に回ったところにある石碑は「銭形平次の碑」です。
銭形平次は野村胡堂の小説「銭形平次捕物控」の主人公であり、銭を投げて悪人を捕らえる岡っ引として描かれています。
1970年に日本作家クラブが発起人となり、文芸春秋の池島信平や大映の永田雅一ら有志の手によって建てられました。
隣には銭形の子分がらっ八(八五郎)の碑も建てられています。
御朱印をいただいたら見逃せないスポットです。