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エピソード
・自転車美人
環は東京音楽学校の生徒時代、自宅の芝から上野までまだ電車がなく、父が買ってくれた自転車で通いました。当時自転車は高級品で、まして女性が自転車に乗るなど考えられない時代でした。
前髪を赤いリボンで結び、紫の矢絣の着物に海老茶の袴で、さっそうとイギリス製の赤い自転車で走る環の姿を、新聞は「自転車美人」としてしきりに書きたてました。小杉天外の小説『魔風恋風』のモデルにもなりました。上野山下の三枚橋あたりには大学生が見物に来るほどでした。中には恋わずらいで死ぬ若者も出るほどでした。
東京音楽学校の男子生徒や隣の美術学校の生徒がいたずらで横一列になって通せんぼし、環が精養軒のわきの溝に自転車ごと落ちると、手をたたいて大笑いします。そういういたずらの餓鬼大将が後の大作曲家山田耕筰(こうさく)でした。
・NHK朝ドラ『エール』(2020年前期)の双浦環のモデル
『エール』は作曲家古関裕而と、歌手としても活躍したその妻古関金子をモデルに二人の生涯を描いたドラマでした。
ドラマの中で、東京帝国音楽学校に通う関内音が憧れる歌手、柴咲コウが演じた双浦環は三浦環がモデルです。ドラマでは関内裕一が作曲した「船頭可愛や」を藤丸が歌ったもののヒットせず、音が双浦環に聞いてもらい、環も気にいってレコーディングし大ヒットしたことになっていました。
・古関裕而が曲をプレゼント
事実は、1935年に帰国した三浦環が当時ヒットしていた「船頭可愛や」を気に入り、コロムビアレコードで吹き込み、クラシック専門の青盤で発売されました。元々クラシックをめざしていた古関裕而は大変喜んで、「月のバルカローラ」を作曲して環に捧げました。この曲もレコーディングされ、この2曲は古関裕而の青盤の作品として記念すべき曲となりました。環の歌声の「月のバルカローラ」はユーチューブで聴くことができます。
三浦環に関するおすすめの本
吉本光明編「『三浦環』お蝶夫人」(日本図書センター、1997年刊行など)は、環が晩年に語った自身のことを吉本氏がまとめたものです。環の江戸っ子風の語り口調がいかされて、環の息遣いが感じられる本です。1947年に右文社から刊行された『お蝶夫人』が元になっています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
環は天真爛漫で感情を率直に表す人でした。あまり感情を人前で表さない習性の日本人には、環の人間としての純粋さが正当に理解されませんでした。
環は『お蝶夫人』を歌う時は、赤い振袖を着て、15歳の蝶々さんになりきります。表現力豊かな環のしぐさは外国人には喜んで受け入れられましたが、日本では芝居がかっているなどと否定的に受け止められることも多かったようです。しかし、環が歌い出すと、小さな体から驚くほどの声量が出て、その美しい歌声はたちまち聴衆を魅了しました。
歌うことが大好きで練習を欠かさず、何よりも音楽を第一に、人々に喜んでもらうために、命ある限り声が出る限り歌い続けることが天分に恵まれた自分の務めという意識を持っていました。
23歳の時、家庭か音楽か選択を迫られ、一人の夫のためよりも多くの人々に幸せを届けられる音楽家としての道を選びました。ピンチをチャンスに変えて強く生きた三浦環のような稀な生き方からも大いに生きる力を得たいものです。
『お蝶夫人』の「ある晴れた日に」はユーチューブで聴くことができます。