乃木神社は、東京都港区赤坂の都心に、明治時代に軍人として活躍し、大正時代初めまで実在した乃木希典(のぎまれすけ)とその妻静子夫人の御霊を祀った神社です。
明治天皇が崩御され、その大葬の日に夫妻ともに自決しました。夫妻の殉死は衝撃とともに当時の人々の心をとらえました。なぜ一人の人間が神として祀られることになったのでしょう。今、若い人々の間でも人気を集めている乃木神社についてご紹介しましょう。
目次
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乃木神社とは
【御祭神】
乃木希典命(のぎまれすけのみこと)
乃木静子命(のぎしずこのみこと)
1923(大正12)年11月鎮座
1945(昭和20)年5月25日の空襲で社殿以下ほとんど焼失。1962(昭和37)年9月、全国の崇敬者によりご祭神50年祭に本殿・幣殿・拝殿が復興されました。
境内案内
一の鳥居

手水舎
一の鳥居をくぐるとすぐ右側にこのような手水舎が設けられていました。右側の流れる水で手と口をすすぎ、アルコールで手指を消毒します。
二の鳥居

拝殿
この奥に本殿、左側に幣殿があります。現在の社殿は1962(昭和37)年9月に復興再建されたものです。お二人のご神徳から、夫婦和合・安産祈願に訪れる人が多い神社です。つつしんでお参りし、お二人からパワーをいただきましょう。
教育の碑
拝殿の左側にあります。1907(明治40)年1月、乃木大将が学習院(当時は宮内省所轄の官立学校)院長に任命されたとき、明治天皇から贈られた「いさをある人ををしえの親としておほしたてなむやまとなでしこ」の御製が刻まれています。
“乃木のような勲功のある立派な人を学習院の院長にして国の未来を担う子弟の教育に当たらせたい”という天皇のお気持ちが込められています。
摂社 正松神社(せいしょうじんじゃ)
拝殿の右奥にあります。乃木大将の親戚であり、恩師でもある松下村塾の開祖玉木文之進と、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの若者たちの精神的支柱であった吉田松陰の御霊が祀られています。乃木大将はこの二人から人格形成に大きく影響を受けました。
1963(昭和38)年1月、戦災復興竣成の機に、山口県萩市の松陰神社から分霊されました。屋根中央の猪目(いのめ)が♡型になっています。学業成就を願う絵馬が目につきました。静かでひそかなパワースポットです。
宝物殿
拝殿の右側にあります。乃木大将の遺品が展示されています。展示品は随時取り替えられ、筆者が訪れた日は、自決の前日に書かれた「遺言条々」が展示されていました。
開館時間9:00~17:00、入館は無料。
ご神木 楷樹(かいじゅ)
この樹を囲むように授与所と参集殿の建物が建てられています。樹の姿が端正で整っていることから書法の楷書の語源になったと言われています。
この楷樹は、1926(大正15)年に奉納植樹されたものですが、中国山東省の曲阜県の孔子廟(こうしびょう)で植え継がれている種子を持ち帰って育てられたものです。
末社 赤坂王子稲荷神社(あかさかおうじいなりじんじゃ)
二の鳥居をくぐると左側にあります。1962(昭和37)年12月、戦災復興竣成の機に北区の王子稲荷神社から勧請されました。乃木大将の両親も乃木夫妻も崇敬が篤く、月詣りしていたそうです。
御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・宇気母智神(うけもちのかみ)・和久産巣日神(わくむすひのかみ)です。いずれも食物と関係の深い神様で五穀豊穣や商売繁盛のご神徳があるとされています。赤い鳥居がきれいです。
おみくじ
「のぎのおみくじ」をはじめ、「恋みくじ」「まゆみくじ」「こどもみくじ」があります。
お守り
社紋をあしらった身体健康の御守、勝守、攘災(じょうさい)開運守、すこやか安産守、つれそひ守・よりそひ守など多彩です。
ユニークなのは、結婚より年月を積み重ねた二人に“これからも長くつれそっていけますように”と願いを込めた「つれそひ守」と、これから夫婦となる二人が“末永くよりそっていただけますように”と願いを込め、新郎の紋服と新婦の白無垢をあしらった「よりそひ守」です。
また、入籍の奉告祭を行い、入籍日とお祝いの御朱印を筆書していただける「よりそひ婚姻届」も用意されています。
筆者がお参りした日は土曜日ということもあり、カップルの姿が多く見られました。
絵馬掛け所
人気アイドルグループ「乃木坂46」の新成人メンバーが乃木神社で成人式を行い、願い事を書いた絵馬があるということから、乃木坂46のファンにとって乃木神社は聖地になっているようです。絵馬は乃木坂46関連のことが書かれているものが多いようです。
御朱印
授与所で「乃木神社」「正松神社」「赤坂王子稲荷神社」の三種の御朱印がいただけます。御朱印帳への記帳は行われておらず、書置きの3枚セットを初穂料1,000円で授与していただきました。
その時の状況によって変わる可能性がありますので、ご確認ください。
セットには乃木大将の絶唱と評価される漢詩(明治37年6月7日旅順の戦跡を弔ったときの感慨を述べたもの)のしおりがついていました。
