パワースポット

【乃木神社】は夫婦和合・安産祈願のご利益!御朱印&パワースポット

乃木大将のエピソード

辻占(つじうら)売りの少年

乃木神社
乃木は陸軍少将のころ用務で訪れた金沢の街で、辻占売りをしている8歳の今越清三朗少年と出会いました。少年は父親が亡くなり、母親は行方知れずとなり、幼い弟妹と祖母と取り残され、辻占売りで一家の生計を助けていたのです。その姿に感銘した乃木少将は少年を励まし、当時としては大金の2円を渡しました。

少年は感激して努力を重ね、宮内庁や伊勢神宮の金箔(きんぱく)のご用命を受けるなど金箔業界で大きな実績を残しました。このエピソードは美談として浪曲、講談、映画になりました。

現在旧乃木邸前に建っている銅像は、1968(昭和43)年に、乃木大将の生誕地六本木6丁目の旧毛利家のニッカ池畔に建立されたものですが、六本木開発の際にこちらへ移されました。

水師営の会見(すいしえいのかいけん)

乃木大将は日露戦争で旅順を陥落させ、水師営で敵将のステッセルと会見しました。そのとき帯剣を許し、酒を酌み交わして打ち解け、敗軍の将を辱めないように紳士的に接しました。

会見の写真を従軍記者たちに何度要求されても1枚しか撮らせず、ロシア軍人の名誉を重んじました。こうした乃木大将の振る舞いは世界的に報道されて賞賛されたのです。この水師営の会見を題材に唱歌が作られ、国定教科書に掲載されました。

戦死者の遺族・傷病兵を慰問

乃木大将は日露戦争後、時間があれば戦死者の遺族を訪問し、“乃木があなた方の子弟を殺しました。その罪は割腹してでも謝罪すべきですが、今はまだ死すべきときではないので、他日、私が一命を国に捧げるときもあるでしょうから、そのとき乃木が謝罪したものと思ってください。”などと述べていました。

また、廃兵院をたびたび見舞い、多くの寄付をしました。上腕切断者のために自ら設計に参加した乃木式義手を完成させ、自分の年金を担保にして製作し、配布していました。

乃木大将は神格化され、軍神としてこれらのエピソードとともに昭和の太平洋戦争へと向かう時代に軍国主義教育に利用されていきます。

旧乃木邸・馬小屋 (港区指定有形文化財)

乃木神社
二の鳥居の左手に旧乃木邸へ入る裏門があります。1902(明治35)年に新築され、夫妻が自決するまで住んでいた邸宅と煉瓦作りの立派な馬小屋です。乃木大将は馬をこよなく可愛がりました。木造2階建、瓦葺、傾斜を利用した半地下を持つ構造の簡素な作りです。
乃木神社
遺言により東京市に寄贈され、1913(大正2)年公園として開設されました。現在は港区が管理し、毎年命日の9月12・13日に邸内が一般公開されます。

乃木神社アクセス

〒107-0052 東京都港区赤坂8丁目11番27号  ☎03-3478-3001

開門6:00~17:00 入場無料  授与所・祈願受付所9:00~17:00

東京メトロ千代田線「乃木坂駅」1番出口 地上に出てすぐ左側

周辺の見どころ

赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ)

最寄り駅は千代田線「赤坂駅」ですが、「乃木坂駅」との中間にありますので、乃木神社からも歩いていける距離です。詳しくは下記をご覧ください。

赤坂氷川神社御朱印|東京三大縁結びのパワースポットの見どころ | SPIBRE (spirituabreath.com)

六本木ヒルズ

乃木大将生誕の毛利・長府藩上屋敷跡に建てられた森美術館、レストラン、映画館、ホテルなどを備えた複合施設です。乃木神社から徒歩13分。

東京ミッドタウン

乃木大将が連隊長を務めた歩兵第一連隊が駐屯した場所。リッツカールトンホテルやサントリー美術館を中心とした商業施設などの複合施設です。乃木神社から徒歩5分。

各地の乃木神社

乃木夫妻を崇敬する人々により大正時代から昭和初期にかけて各地で創建されました。

函館乃木神社(北海道函館市)

1916(大正5)年有志により創建。

那須乃木神社・乃木別邸(栃木県那須塩原市、栃木県史跡指定)

1916(大正5)年4月、乃木大将の那須別邸近くに地元石林住民を中心に創建。

京都乃木神社(京都市伏見区)

1916(大正5)9月、明治天皇の桃山御陵の南側に村野山人により創建。

長府乃木神社・旧宅(山口県下関市)

1920(大正8)年、乃木家旧宅の隣接地に創建。

善通寺乃木神社(香川県善通寺市)

1935年(昭和10)年に創建。乃木中将時代1898(明治31)年に第11師団の初代師団長として赴任。

まとめ

いかがでしたでしょうか。六本木・赤坂周辺は、江戸時代は大名や旗本の屋敷が多く立ち並ぶ屋敷町でした。明治時代になって華族や官吏が多く住む邸宅街であると同時に、乃木大将も務めた歩兵第一・第三連隊などが置かれる軍隊の街となりました。

名将乃木大将のイメージは、学徒出陣で満州に赴任経験を持つ作家司馬遼太郎の『殉死』(1967年)や『坂の上の雲』(1968年4月22日~1972年8月4日『産経新聞』夕刊に連載)によって一変しました。

“乃木は戦争が下手な愚将である”“旅順を陥落できたのは児玉源太郎が指揮を取ったからである”と。しかしまた、それに反論する論文も多く書かれ、今なお検証が続けられています。

軍人としての評価はともかく、ドイツ留学後の後半生は、清廉潔白で質素な生活を送りました。伯爵となっても変わりませんでした。そうした乃木希典の人格を敬愛する人は多くいます。

平成の再開発で今やあらゆる世代があこがれる文化・芸術の街となった赤坂に、乃木神社は静かで厳かなたたずまいを見せています。都心のオアシス乃木神社をぜひ訪れてみてください。

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ABOUT ME
Written by ゆうこ
卯年、山羊座。元国語教師。趣味は、温泉旅行や食べること。百人一首競技かるたは選手&読手A級。お寺や神社に立つと、幾度もの興亡が繰り返され、再建・再生され、長年月維持し、受け継いできた無数の無名の人々がいたことを思わずにいられません。そういう人々の思いを少しでも伝えられたらと思っています。 共著書:『新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金発行)『花ひらく女学校』(女子教育史散策 明治後期編)

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