パワースポット

大神神社は日本最古の神社!『万葉集』の歌や御朱印と見どころを紹介

大神神社・巳の神杉(みのかみすぎ)

大神神社,巳の神杉
大物主大神の化身の白蛇が棲むと伝えられるご神木です。蛇の好物である卵がいつも供えられています。お酒のお供えは三輪神社が造酒発祥の地(後述)だからでしょう。
大神神社,巳の神杉に供えられた卵と酒

大神神社・神宝神社(かんだからじんじゃ)

大神神社,神宝神社
巳の神杉の右手の石段を下りて、左手奥にあります。熊野三山の神々が祀られています。お宝・財物を守護してくださる神様です。

大神神社・天皇社(てんのうしゃ)

大神神社,天皇社
神宝神社の右手にあります。崇神天皇が祀られています。崇神天皇は大物主大神を篤く信仰され、丁重に祀られました。三輪山の麓に都を置かれ、日本の国の姿を整えられたと伝えられています。

大神神社・活日神社(いくひじんじゃ)

大神神社,活日神社
拝殿の左手、狭井神社(さいじんじゃ)への参道途中にあります。崇神天皇に召され、三輪の神様にお供えするお酒を造った高橋活日命(たかはしいくひのみこと)が祀られています。杜氏(とうじ)の祖先神として酒造関係者から信仰されています。お酒が好きな方は心を込めてお参りしてください。

『日本書紀』(巻第5)三輪の神酒(みき)の説話

三輪の神酒に関して『日本書紀』にこんな説話が記されています。

崇神天皇8年の夏、前年に疫病が収まって、高橋活日を、大神神社の掌酒(さかひと)としました。その冬の12月、天皇は大田々根子(おおたたねこ)に大神を祭らせました。この日、活日は自ら神酒を天皇に献上し、次のような歌を詠みました。

「この神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭(やまと)成す 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久」

(この神酒は私が造った酒ではありません。やまとの大物主の神が造られた神酒です。いつまでも いつまでも)

神酒をささげて、天皇も廷臣たちもいい気分になり、歌を詠んで宴が盛り上がりました。こうして三輪はお酒の発祥地として知られるようになり、「味酒(うまさけ)」が「三輪」の枕詞(まくらことば)になりました。(『万葉集』の歌後述)

大神神社・市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)

大神神社,市杵島姫神社
狭井神社の鳥居をくぐって左手にあります。水の守護神、安芸の宮島のご祭神として知られる市杵島姫命が祀られています。また、弁財天とも称され、福徳財宝・芸能をつかさどる神様として人気があります。

狭井神社(さいじんじゃ)の見どころ・御朱印

狭井神社は、大神神社の摂社で、約2000年前の第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の御代に創祀されました。主祭神は、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)です。

狭井神社・社殿

大神神社,狭井神社,社殿
檜皮葺入母屋造(ひわだぶきいりもやづくり)の拝殿と、その奥に春日造本殿が鎮座しています。本社の大神神社は「幸魂・奇魂」が祀られているのに対して、こちらは「荒魂(あらみたま)」が祀られています。荒魂とは、進取的で活動的なはたらきをする神霊で、その力強いご神威から病気平癒の神様として信仰されています。

狭井神社・御朱印

大神神社,狭井神社,御朱印
社務所でいただけます。初穂料は300円です。

狭井神社・薬井戸(くすりいど)

大神神社,薬井戸(くすりいど)
社殿の左手奥にあります。万病に効くという霊水が湧き出ており、多くの方が「ご神水」を汲みに訪れます。殺菌室に用意されているコップでその場でも飲めます。

私もペットボトルに入れて、その日はご神水をいただきました。パワースポットです。お見逃しのないように。

狭井神社・ご神水の音

大神神社,御神水の音
社殿の左に、湧き出るご神水の音が聞ける水琴窟がありました。清らかな音色で癒されます。

三輪山登拝口

大神神社,三輪山登拝口
ご神体の三輪山に登拝することができます。狭井神社の社務所で申込書に記入し、登拝料300円を納め、「三輪山参拝証」のたすきをかけ、自分でお祓いをして登拝します。

お参りが主眼ですので、水分補給以外の飲食、火気の使用、カメラ等の撮影が禁じられています。受付は午前9時~午後2時まで。下山報告は午後4時まで。この約束事は絶対に守らなくてはなりません。

登拝された方の感想に、途中にもたくさんの磐座(いわくら)があり、山頂の巨岩群を見ていると、「神々が坐して遊ぶ庭のようでした」とありました。しかし、勾配がきつい箇所もありますので、装備や体調管理が大切です。

鎮花祭(はなしずめのまつり)

4月18日に行われる「鎮花祭」は、大神神社と狭井神社の二社で行われます。崇神天皇の御代に疫病が起こり、大物主大神が鎮められたいわれから、疫病除けの祭典として二千年来の歴史があります。『大宝律令(たいほうりつりょう)』(701年)に「国家の祭祀として定められた祭り」と記載されていました。

春の花の散るころ、人間の気のゆるむ時に、疫病が起こりやすいのを鎮めるために、薬草の忍冬(すいかずら)と百合根を他の神饌(しんせん)とともに、大神神社と狭井神社にお供えします。

祭典には奈良・京都・大阪などの製薬業者や医療関係者が多く参列し、医薬品が奉献されるため、「薬まつり」とも呼ばれています。

大神神社,忍冬飴
お供えされた忍冬入りの「忍冬飴」が500円で授与されていました。私たちは運よく最後の三袋を授与していただくことができました。ほのかに薬草の香りがするさっぱりした飴でした。これで今年は元気に過ごせそうです。

『万葉集』(巻第1)に歌われた三輪山

『万葉集』には、三輪山、三輪、三室(みむろ)の山、三諸(みもろ)などと詠まれた歌が20首余りあります。その中で最も知られている歌を紹介しましょう。

題詞に「額田の王(ぬかたのおおきみ)の近江の国に下りし時作れる歌」として、長歌と反歌(長歌をまとめたもの)があります。

長歌

「味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠るまで 道の隈 い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を こころなく 雲の 隠さふべしや」

【長歌の意味】
慣れ親しんだ三輪山を、奈良の山々のはてに隠れるまで、道の曲がりが何重にも重なるまで、十分に見ながら行きたいのに、何度も眺めやりたいのに、無情にも雲が隠すなんてことがあってよいものだろうか。

反歌

「三輪山をしかも隠すか雲だにもこころあらなも隠さふべしや」

【反歌の意味】
三輪山をそんなふうに隠すのか。せめて雲だけでも情けがあってほしい。隠すなんてことがあってよいものだろうか。

というように、慣れ親しんだ飛鳥の地から去りがたい思いを詠んだ長歌と反歌です。

額田の王は、『日本書紀』(巻第29)によりますと、鏡の王(おおきみ)の娘で、大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)に嫁し、十市皇女(とおちのひめみこ)を生んだとあります。それ以外の詳しいことはわかりません。

しかし、『万葉集』の題詞などから、後に大海人皇子の兄の天智天皇に召され、近江の大津に遷都された時に仕えたとされています。絶世の美女で、和歌に優れ、二人の皇子に愛された額田の王は、多くの小説や漫画、舞台演劇に描かれています。

この歌は天智天皇の御製と後書きにあります。このことから額田の王は、天皇に代わって歌を詠んだり、宮中の宴で活躍したりする巫女(みこ)のような女性であったのではないかと言われています。

謡曲「三輪」の舞台にもなった大神神社

世阿弥(ぜあみ)作と伝えられる謡曲「三輪」は、神婚説話を元にして、平安時代の高僧玄賓僧都(げんぴんそうず)と、女神として登場する三輪明神との交感を描いたものです。玄賓が、里の女(三輪明神の化身)に請われるままに与えた衣が掛かっていたという「衣掛の杉」(ころもがけのすぎ)の切り株が、檜皮葺の屋根に覆われて保存されています。

拝殿に向かう大きなしめ縄の鳥居が張られた石段の下です。

アクセス

大神神社 〒633-8538 奈良県桜井市三輪1422
☎ 0744-42-6633  FAX 0744-42-0381

JR桜井線「三輪駅」下車徒歩5分
JR桜井線・近鉄大阪線「桜井駅」下車。北口2番乗り場からシャトルバスで約20分

まとめ

大神神社,拝殿への石段,しめ縄
大神神社はいかがでしたでしょうか。さまざまな書物に記されていることからも由緒ある古社であることがわかります。

現在も酒造の祖先神、医薬の神様としてそれぞれの関係者から崇敬を受けています。そして、もう一つ忘れてはならないのは、三輪地方はそうめんの発祥の地でもあることです。

「三輪そうめん」の歴史は古く、約1200年前、“おおたたねこ”の子孫で、第12代宮司の次男穀主(たねぬし)が、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願しました。そして、大神のお告げにより、三輪の地で小麦を作り、石臼で挽き、湧き水で粉をこねて糸状に延ばし「索餅(さくべい)」を作り、民を救いました。それがそうめんの起源と伝えられています。

大神神社はそうめん作りの守護神とされ、毎年2月5日に、その年の生産者と卸業者の初取引の参考価格を神前で占う「卜定祭(ぼくじょうさい)」が行われています。

いろいろな守護神としてパワーあふれる大神神社(三輪明神)に是非訪れてみてください。

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ABOUT ME
Written by ゆうこ
卯年、山羊座。元国語教師。趣味は、温泉旅行や食べること。百人一首競技かるたは選手&読手A級。お寺や神社に立つと、幾度もの興亡が繰り返され、再建・再生され、長年月維持し、受け継いできた無数の無名の人々がいたことを思わずにいられません。そういう人々の思いを少しでも伝えられたらと思っています。 共著書:『新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金発行)『花ひらく女学校』(女子教育史散策 明治後期編)

POSTED COMMENT

  1. 鈴木 より:

    前回の当麻寺の記事といい、今回の大神神社の記事は色々奥深い記事ですね、凡人の私にはなかなか頭に入りませんが、エピソード楽しく拝読させていただきました。

    • Written by より:

      ご訪問ありがとうございます。「令和」になって『万葉集』ブームが起こっています。偶然でしたが、4月下旬に奈良の寺社へお参りする機会がありました。当麻寺も大神神社も『万葉集』に歌われていましたので、記事の中で紹介しました。ゆかりの地に立って、約1350~1360年前の万葉人の心に少し触れることができたような気がします。

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