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西国三十三所札所8番【長谷寺】は大観音に出会える花の御寺!御朱印と見どころ

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奈良県桜井市にある長谷寺は、10mを超える巨大な十一面観音様に出会えるお寺です。広大な境内は四季おりおりの花で彩られ、「花の御寺(みてら)」としても名高く、とくに約7000株の牡丹が咲く頃は大勢の人々が癒しと感動を求めて訪れます。『源氏物語』や『更級日記』などの古典文学にも登場し、古来観音信仰の聖地として栄えています。そんな長谷寺の見どころをご紹介します。

長谷寺とは

西国,8番,長谷寺
山号:豊山(ぶざん)
寺号:長谷寺(はせでら)
宗派:真言宗豊山派総本山
開基:道明上人(どうみょうしょうにん)
本尊:十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)、重要文化財

686年、道明上人が、天武天皇の病気平癒を願って「銅板法華説相図(どうばんほっけそうぞうず)」〔国宝〕を鋳造して、初瀬山(はせやま)中腹の西の岡に安置したのが始まりといわれています。

727年、道明上人の弟子である徳道上人(とくどうしょうにん)が、聖武天皇の勅命で衆生のために巨大な十一面観世音菩薩像を造り、初瀬山の東の岡に観音堂(現在の本堂)を建立し安置しました。

徳道上人は、718年、病気のため仮死状態になり、冥土で閻魔大王から「三十三所観音霊場を世に広めよ」とお告げを受け、起請文と宝印を授かり、生き返りました。上人は、観音菩薩の霊験所や寺院に説いてまわりましたが、なかなか信じてもらえず、やむなく中山寺(兵庫県)に宝印を埋めました。それから約270年後、花山法皇(かざんほうおう)が宝印を掘りだし、西国三十三所観音霊場を再興されたと伝えられています。

その718年から数えて2018年は、1300年の記念の年にあたり、三十三所観音霊場各寺で2016年~2020年の5年間にわたり、特別拝観などが行われています。

長谷寺・仁王門〔重要文化財〕

西国,8番,長谷寺,仁王門
入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんかわらぶき)の楼門です。左右には仁王さん、2階には釈迦三尊十六羅漢像が安置されています。扁額の「長谷寺」の文字は後陽成天皇のご筆跡といわれています。現在の仁王門は1894年に再建されました。

長谷寺・登廊(のぼりろう)〔重要文化財〕

西国,8番,長谷寺,登廊と長谷型灯籠
108間399段の石段を覆う屋根付き回廊で、1039年、奈良春日大社の社司が、病から息子を救ってくれた観音様に感謝して、99間の登廊を建てたのが始まりです。

長谷型灯籠が美しく、下登廊・中登廊・上登廊の3廊に分かれています。一段一段は低く、平安時代の人々がそろりそろりと登っていく姿を彷彿させるような不思議な空間です。

この登廊の両側に、150種約7000株の牡丹が、4月下旬から5月初旬頃、紅・白・ピンクなど色とりどりに咲き、訪れる人を別世界へと誘ってくれるのです。

私が訪れた日は、咲き始めた数輪の牡丹とシャクナゲが迎えてくれました。
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長谷寺と牡丹の縁起は、唐の僖宗(きそう)皇帝の寵愛を受けていた馬頭夫人(めずぶにん)が、願いを聞き届けてくれた長谷寺の観音様に感謝して送った宝物の中に、牡丹の種があったことに始まります。

長谷寺・道明上人御廟塔(どうみょうしょうにんごびょうとう)

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長谷寺を開基した道明上人のお墓です。下登廊の入り口、右側にあります。

長谷寺・宗宝蔵

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長谷寺に伝わる国宝や重要文化財等が収められており、春と秋に公開されます。国宝の「銅板法華説相図」はレプリカが展示されています。入館料100円。

長谷寺・二本の杉(ふたもとのすぎ)

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二本の杉の根元がくっついている杉です。宗宝蔵の前の小道を右へ行ったところにあります。

昔はこのあたりが長谷寺の入り口だったそうで、『源氏物語』の「玉鬘(たまかずら)」の巻で、「二本の杉のたちどをたづねずばふる川のべに君を見ましや」(二本の杉が立っている長谷寺を訪ねなければ、初瀬川の古い流れの岸辺であなたに会えたでしょうか)と、右近の歌に詠まれています。右近は、光源氏が愛した夕顔の侍女で、今は源氏に仕えている女性でした。これが縁となり、夕顔の遺児で美しく成長した玉鬘は、やがて源氏の六条院に引き取られます。

また、二本の杉は『古今和歌集(こきんわかしゅう)』の歌(巻第19雑体)に詠まれています。

長谷寺・天狗杉(てんぐすぎ)

西国,8番,長谷寺,天狗杉

長谷寺第14代住職の英岳師(えいがくし)が修行に励んでいた若い頃、境内に天狗が出て、英岳が灯した灯籠の火を夜中に消して歩くいたずらをしていました。英岳は天狗に負けないように一層勉学に励み、住職になりました。諸堂の修理に近辺の木々を伐採するとき、天狗のおかげで住職になれたのだと思い、この木だけは残したそうです。それ以来「天狗杉」と呼ばれるようになりました。

少し傾いていたので、倒れないかと心配でした。

長谷寺・蔵王堂(ざおうどう)〔重要文化財〕

西国,8番,長谷寺,蔵王堂の三鈷
中登廊を登りきったところにあります。吉野山から虹の橋を歩いてやってきたという蔵王権現三尊像(ざおうごんげんさんぞんぞう)が祀られてあり、権現様の持物である大きな石の三鈷が置いてありました。触れてパワーをいただきました。

長谷寺・紀貫之故里の梅(きのつらゆきふるさとのうめ)と縁結びの社

西国,8番,長谷寺,紀貫之の碑と縁結びの社

「人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」小倉百人一首でおなじみの和歌です。「あなたの心はさあどうでしょうか。この昔なじみの里は変わらず梅の花がよい香りをはなっていますが……。」というような意味です。

平安時代前期の歌人紀貫之は、長谷寺に詣でるといつも泊まる家がありました。久しぶりに行くと、宿の主が「ずっとこの宿はありましたのに(ずいぶんご無沙汰でしたね)」と皮肉ったので、そこに立っていた梅の花を折って詠んだと『古今和歌集』の詞書(ことばがき)にあります。なにやら男女の艶っぽい秘話がありそうですね。

しかし、一説に、長谷寺で幼少期を過ごした貫之が、叔父の雲井坊浄真を久しぶりに訪ねた際の歌で、叔父も「花さえも変わらず美しく咲き、よい香りをはなっているのに、植えた人の心はわからないものですね」という意味の和歌を返したそうです。

う~ん、叔父さんではねえ……。

右にある赤い小さな社は、平安時代末期の歌僧で、諸国をめぐり歩いていた西行法師と、妻であった尼僧とがここで再会したことから、縁結びの社として建てられました。

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ABOUT ME
Written by ゆうこ
卯年、山羊座。元国語教師。趣味は、温泉旅行や食べること。百人一首競技かるたは選手&読手A級。お寺や神社に立つと、幾度もの興亡が繰り返され、再建・再生され、長年月維持し、受け継いできた無数の無名の人々がいたことを思わずにいられません。そういう人々の思いを少しでも伝えられたらと思っています。 共著書:『新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金発行)『花ひらく女学校』(女子教育史散策 明治後期編)

POSTED COMMENT

  1. 鈴木政雄 より:

    私は6月に行きましたので、桜は見られませんでしたが綺麗だったようですね。あいにくの雨でしたが、長い階段の登廊ゆっくり上がりました、
    周りの景色が良く分かりませんでした。日本杉に関する和歌等文学に関する記事等、良かったです。結縁の五色線大事にしています。
    いつもながらあなた様の記事に感動しています。この次は花がきれいな時行きたいと思います(いつも思いますが?)

    • Written by より:

      ご訪問ありがとうございます。長谷寺は、桜や牡丹のころにめぐり合わせられれば言うことなしですが、花はなくてもお寺全体から醸し出される雰囲気がなんともゆったりとしていて、過去の歴史の中へタイムスリップしたような気持ちにさせていただけるお寺で、何度も訪れてみたくなりますね。
      鈴木様も、ぜひまた花の季節や紅葉の頃に再訪なさってくださいませ。
      私も、両側が牡丹で彩られる頃、あの登廊を登ってみたいと思っています。

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