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大切な人の死を怖いと思わず向き合うには
肉体との別れ
目の前にいる、見える、触れるなど五感を持って感じることの出来る人の存在ですが、魂との別れではありません。なぜなら失ったはずの人は頭の中の記憶として焼き付けられているからです。
五感がなければ感じない存在ではなく、第六感で感じる時がやって来ます。何故だか失ったのに実感がわかないとか、側にいるような気がするといったものを疑わず受け入れてください。決して怖いことではありません。第六感は誰もが持つ感覚だからです。ただ受け入れるか受け入れないかの違いです。生きていると思いながら暮らしていくのもいいのです。別れたのは肉体だけであり、大切な人とはこれからも一緒だからです。
死は怖いという感情は、肉体が無くなることの怖さへと変化するかもしれません。でも肉体が無ければ人は、他人と比べることもなくなるでしょう。見えるものを飾らなくて済むようになるでしょう。その楽な世界へ大切な人が旅立ったと思えたら怖い気持ちも癒えるはずです。生まれた新しい怖い感情は今度は癒しに変化します。
それでも時は流れ続けます
通夜、告別式、出棺・・・初七日、四十九日と家族は動き続けます。何かをしなければならないことで追われる日々が続きますが、記憶は薄れるどころか色濃く思い出を回想できるようになります。意見の違いで喧嘩をしたこともある間柄でも、不思議と思い出すのは楽しかった思い出と感謝する気持ちで溢れてきます。後悔もします、もっともっとと思い返します。
送る側はきっと今度は自分が死を迎える時まで『送る側』のままなのです。命日をお参りできなくなるということは自分の死が訪れたことになるのではないでしょうか。そして時は流れて自分が死を迎えることになるのです。自分の死を考えるときっとまた怖い感情が湧いてくるでしょう。また気づきの時がやって来るのです。
大切な人の死から思うこと
出会えて良かったと思います。単純にそう思います。思えば『怖い』という感情が芽生え始めた時には、私をその『怖い』ものからいつでも助けてくれていました。自分の命に代えても守っていてくれたのだとやっと気づきました。自分の体が苦しい時でさえ、最期まで周りの心配ばかりしていました。
こうして見送ることができて本当に良かったです。先に旅立たずあなたを見送れて。この辛く失うことの怖さをあなたが味わわなくて良かったと思います。死は怖いもの、だけど故人の体一つだけ奪うだけで残してくれるものがたくさん存在します。これからもその贈り物は増えていくでしょう。死んでも尚私を守ってくれているのです。
まとめ
いかがっだったでしょうか?
これは見送る側の一つの体験に過ぎませんが少しでも参考になれば嬉しいです。気持ちは変化し続けていきます。
泣きたい時には泣き、話したい時には話し、相手が居なければ自分に話しかけてみてください。見送る側は見送ることが仕事です。その与えられた仕事を全うしましょう。
見送った後には大切な人からのメッセージが残されているはずです。
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