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四国お遍路18番札所【恩山寺】は厄除けのご利益!御朱印と見どころ

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徳島県小松島市田野町にある恩山寺(おんざんじ)は四国88カ所の18番札所です。 恩山寺は昔、災厄や悪疫を救う女人禁制の道場でした。そんな厳しい道場と弘法大師の母である玉依御前に深い関係がある恩山寺はどのようなお寺なのでしょうか。御朱印や見どころについてご紹介します。

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恩山寺の歴史

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724年~749年:聖武天皇により、行基が厄除けの為に薬師如来をつくり、このお寺を「大日山福生院密厳寺」と号しました。また、当時は、女人禁制の道場になっており、19番札所「立江寺」に向かって下る坂、「花折り坂」から上には女性は入ることができなかったそうです。

782年~806年:弘法大師が恩山寺で修業をしていた頃、弘法大師の母、玉依御前が香川県の善通寺から息子を訪ねてきました。ところが、当時のお寺は女人禁制。そこで、弘法大師はお寺に入れない母の為に、山門の近くの滝に打たれて、17日間の秘法を修業し、女人解禁の祈願を成就したことにより、玉依御前を迎え入れることができたそうです。なお、境内には玉依御前が祀られている小堂があります。

1573年~1592年:四国統一を狙った土佐の長宗我部の「天正の兵火」によって恩山寺は焼失してしまいました。

1804年~1830年:江戸時代になって、阿波藩主の蜂須賀氏により、現在の本堂や太師堂が復元されました。

恩山寺とは

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  • 寺号:恩山寺(おんざんじ)
  • 山号:母養山(ぼようざん)
  • 院号:宝樹院(ほうじゅいん)
  • 宗派:高野山真言宗
  • ご本尊:薬師如来

山号 母養山について

女人禁制解禁の祈願を成就した弘法大師の母である玉依御前は、髪を剃髪してその髪を寺に奉納しました。なお、弘法大師は、自身の像をつくり、山号寺を「大日山福生院密厳寺」から「母養山恩山寺」と改めました。

本尊とご利益

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ご本尊である薬師如来は、薬の神様とも言われています。如来になる前の菩薩の時代に「12の大願」を立てて、その大願をすべてクリアして如来になります。また、12の大願の中には、「病気の災いを除き安楽を与える」というものがあり、この大願を果たしたことから医薬を司る仏様という意味で「医王」という別名があります。

ご利益と言えば、恩山寺にしかないお守りとして、「摺袈裟(すりげさ)」というお守りがあります。
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お守りが古くなれば、そのお守りをお寺に返納するのが一般的ですが、擦袈裟は持ち主が亡くなった時に棺桶と一緒に入れると極楽浄土に行けると言われています。つまり、「一生、持ち続けることができる」お守りなんです。

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生きている間にそのお守りを持っていると、悪い事が良い事に代わると言われているので、袋に入れてカバンに入れて持ち歩くといいとお寺の方がおっしゃっていました。「摺る」とは、「版木で印刷する」という意味で、現在の梵字は印刷されたものですが、今でもお寺には江戸中期頃の版木が残されているそうです。

御朱印

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恩山寺の入口階段を上がって右側奥に納経所はあります。恩山寺はあまり混んでなくどちらかといえばひっそりとしています。

ツアーでまわった時の御朱印はこちら
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御朱印は、中央には火炎宝珠のご宝印に御本尊である薬師如来の力強い墨書き、その上には薬師如来の種字である「バイ」の梵字も書いてあります。右上の朱印は「四国第18番」に墨書きで奉納、左下は恩山寺の印と墨書きです。

後日参拝した時は、すいていてすぐに書いて頂けました。この時は納経帳を忘れてしまっていた為にあらかじめ書いてくださった御朱印をお受けいたしました。1枚300円でした。お寺の方に御朱印のほかに擦袈裟の詳しいお話も聞けました。とても気さくで丁寧な対応をしてくださいますよ。
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恩山寺の見どころ

大師像

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4mを超える修行大師像は迫力があります。

大師堂

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大師堂にある本尊は弘法大師が自分自身を彫ったとされている像です。

御母公堂

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玉依御前像が祀られていて、髪の毛も奉納されています。拝顔できないのが残念。

地蔵堂

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写真では見えにくいですが、釈迦の十大弟子像が並んでいて、右側に地蔵菩薩坐像が祀られています。

毘蘭樹(びらんじゅ)

お寺へと続く道に、大きな木があります。弘法大師が植えたとされており、徳島県の天然記念物になっている木、「毘蘭樹」です。灰褐色の樹の皮が剥がれ落ちて、赤黄色の木の肌が見えているのが特徴的です。また、賭博をする人が賭け事に負けて、身ぐるみを剥がされた様子に似ていることから、「博打の木」とも言われているそうですよ。なお、この木に触ると勝負に勝てなくなりますが、葉っぱを財布にいれると勝負事に勝てると言われているそうです。

奥ノ院

恩山寺から少し東側にある小松島市金磯町に、金磯弁財天という場所があります。地元の人は、「弁天さん」と呼んでおり多くの人々に親しまれてきました。そこは恩山寺の奥ノ院で、平安時代の延暦(782年~806年)に恩山寺で修行していた弘法大師が、東にある島の方に龍燈(日本各地に伝わる怪火で主に海中より出現するもの)を見つけました。

そこで、弘法大師は船を借りてその島へ上陸すると、とても良い匂いがする梅と美しい音色と共に、上半身は人で下半身は鳥の姿をした迦陵頻伽(かりょうびんが)が飛び交っていました。そこには美しい女神様が座っており、弘法大師はその女神と一晩中、法話についてお話されたそうです。

夜が明ける頃に、女神は「私はこの海上を守護する弁財天です」と話され、夜が明けると共に白龍となって海中に帰っていきました。その後、弘法大師はこの丘に弁財天を祀ったと言われているそうです。この弁財天、紀伊水道に面していて、紀伊水道の海域を守護していると言われています。

ここには兜岩という室岩があり、ここに源義経が上陸、船を集結させて弁天山で軍議を開いたと言われています。

まとめ

恩山寺の御朱印や見どころは如何でしたか。恩山寺に立ち寄った際は、摺袈裟のお守り(700円)を是非チェックしてみてください。また、恩山寺の北の方に向かって15分くらい歩くと、源平合戦のあった1185年2月18日、勝浦尼子ケ浦に上陸した源義経がこの旗山の山頂に白旗を掲げて気合を入れたといわれている史跡があります。

また、この場所は、日本一大きな義経の騎馬像が立てられていることでも有名です。恩山寺だけでなく、その周辺にもたくさんの見どころがありますので、ゆっくりと歴史にふれてみてくださいね。

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SPIBRE編集部

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