四国お遍路34番札所である種間寺(たねまじ)は、高知県、土佐湾沿岸に構える四国霊場です。
土佐湾沿岸は、四国霊場を語るうえで欠かすことのできない土地であり、種間寺もそのうちのひとつ。湾ということもあり、航海と結びついた逸話や伝承が多く伝えられています。
それでは、種間寺の名前の由来や御朱印の特徴、見どころなど、ご紹介していきましょう。
【種間寺】水難を機に生まれたお寺
世は敏達天皇の時代、百済より多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどきました。彼らは用明天皇の時代に渡来、大阪、四天王寺の創設に一役買うことになります。
四天王寺がようやく落成し、その帰路の航海中、強烈な暴風雨に襲われたそうです。土佐沖にてその災害に悩まされながらも、種間寺の建つ本尾山ちかくの、秋山の港になんとか寄港し、命を落とすことなくすみました。この出来事をきっかけに彼らは海上の安全を祈り、約145cmという小柄の薬師如来坐像を彫造。
その数年後、弘法大師がこの地へ巡錫、薬師如来を本尊として寺を開創されました。その際、大師が中国から持ち帰られた五穀の種をまかれたことから、「種間寺」という寺名が付されることとなったのです。
その様子は
世の中にまける五穀のたねまでら
深き如来の大悲なりけり
というご詠歌からも、想像することができます。
【種間寺】ご利益
ご本尊|薬師如来像
種間寺のご本尊は薬師如来像。薬壺を持ち病気を治す仏様として知られています。
西方極楽浄土に阿弥陀如来が存在しているいっぽう、薬師如来は東方浄瑠璃界に存在し、現世の教主であるとされています。
種間寺の薬師如来像は「安産の薬師さん」とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。
しかしながら、その成り立ちはベールに包まれており、寺伝によると百済の仏師作とされていますが、一説には平安時代後期ともいわれています。ケヤキの寄木造で、2008年に開眼。
大黒天(さわり大黒)
本堂内に大黒天(さわり大黒)があり、こちらは参拝の方々に触っていただき色つやが出る方がよいとの当時の住職の考えで、素地仕上げに施されています。ちょっと見づらいですが、写真左上にあります。
「抱き稲に種」という種間寺独自の紋は、この大黒天のために作成されたとのことです。
如来となる前である菩薩の時代、薬師如来は「十二の大願」と呼ばれる誓いを立てて人々の救済につとめ、その大願を全て果たすことで如来になられました。
その願いのひとつに「病気の災いを除き安楽を与える」というものがあります。医薬を司る仏として「医王」という別名は、この大願を果たしたことからつけられた名称なのです
【種間寺】御朱印の特徴
さすが、四国霊場における重要地といわんばかりに落ち着いた佇まいながらも、荘厳な雰囲気をもつ種間寺。御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずご本尊にご挨拶するのを忘れないようにしてくださいね。
「薬師如来」と書かれた種間寺の墨書き。その筆跡は、力強くもしなやかに、見るものの心を落ち着かせてくれるような御朱印です。
【種間寺】見どころ
観音堂|子育観音
大師堂と参道をはさんで向かい側に、子育観音像が安置されています。
こちらは「底抜け杓子」が有名。妊婦が柄杓を持参して祈願すると、寺では柄杓の底を抜き、2夜3日祈祷したのち渡します。妊婦はそれを床の間に飾り、安産を迎えたら、柄杓を寺に納めるのです。底を抜くのは「よく通じる」のおまじないなのですね。
子育観音堂の右横には、「沙羅双樹」の札の付いた木がありました。季節が良ければ、「枯れ木」状態ではなくきれいな花を見ることができたと思うと、少し残念な気持ちになりましたが、枯れ木も中々風情がありますね。
本堂
国指定の重要文化財でもある薬師如来像は、まさに必見です。
威厳のある表情、肉付きのよい、どっしりとしたたたずまいで、見るものの心が洗われる思いがします。
手水鉢
1677年に作られたといわれる手水鉢は、町内最古のものであり、町の指定文化財ともされています。
大師堂
本堂をお参りした後は、大師堂へお参りします。
大師堂前の石仏に光が差していて神々しい雰囲気でした。
まとめ
種間寺の御朱印や見どころはいかがでしたか。街中にあるお寺なので、段差がなく歩きやすかったです。白砂利と木々の緑がとてもきれいでした。
水難をきっかけに生まれた種間寺。当時つくられた薬師如来像が、今なお土佐湾の海を守り続けてくれているような、そんなおおらかな気持ちにさせてくれる寺院です。ぜひ、足を運んでみてくださいね。
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