
四国霊場をなす一画であり「菩提の道場」とも呼ばれる愛媛県。今回ご紹介する四国40番札所、観自在寺(かんじざいじ)は、そんな愛媛県最初の霊場であり、愛媛県最南端に位置します。
1番霊場、霊山寺から最も遠い位置にあり「四国霊場の裏関所」とも称されることの多い寺院です。
海洋レジャーや真珠の生産地としても高名な足摺宇和海国立公園を一望できるロケーションにあり、その景観を十分に楽しむことができる寺院でもあります。
観自在寺繁栄の裏には、一本の霊木から紡ぎだされた物語がありました。その歴史や御朱印、見どころなどをご紹介していきます。

観自在寺の歴史
観自在寺のはじまりは大同2年(807年)。弘法大師が時の支配者、平城天皇の勅命を受け、この地を訪れたのがきっかけです。
同地に存在した1本の霊木。
大師は1本の霊木から本尊である薬師如来、脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の3像を彫りあげ、寺院を開創したといいます。残りの霊木には「南無阿弥陀仏」の名号を刻み、名号宝判(木綿の布に刷り写した御守り)としました。そうして、病に伏す庶民の苦しみを取り除こうと祈願したそうです。
勅命を下した平城天皇、次代の嵯峨天皇もまた、この地を気に入り、頻繁に行幸なさったそうです。一時は火災によりすべての堂塔を焼失したものの、当時の宇和島藩主・伊達家の祈願所として旧観の回復につとめながら、現代まで残る寺院となっています。
観自在寺のご利益
こちらの観自在寺では、本尊は薬師如来象、脇侍として、阿弥陀如来と十一面観世音菩薩が安置されています。
2度の火災に見舞われたものの、以上の3像には損傷もなく、当時のままの面持ちです。それだけで、とてつもないご利益がありそうですね。
参拝も可能ですので、ぜひそのご利益をいただいてみてください。なお、本堂は火災により、鎌倉様式の鉄筋コンクリート造となっています。
本尊である薬師如来像は「医王」という別称をもつ如来です。
かつて人々を救うためにに12の大願を掲げ、そのうちの一つである「病気や厄災を取り除いて、安楽を与える」という大願を見事果たされ、病気を治す仏様として、多くの人に親しまれるようになりました。
左手には「医王」らしく、薬壺(やっこ)を持っているのがその出で立ちの特徴。施無畏印(せむいいん)と呼ばれる右手の印には「怖がらなくて大丈夫」という、薬師如来からのメッセージが込められているそうですよ。
なお、3像の安置されている本堂左手前には、人生訓の書かれたてぬぐいが、一枚500円で販売されています。
ぜひ、購入してみてくださいね。
観自在寺の御朱印の特徴
「四国霊場の裏関所」として、落ち着いた雰囲気のまま観自在寺は静かなたたずまいを見せていました。御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずご本尊にご挨拶するのをお忘れないように。
観自在寺の御朱印の揮毫は「医王殿」と書かれています。その筆跡はなめらかながら、どこか力強さを感じさせます。御朱印をいただいて、ぜひそのパワーを感じていただければと思います。
観自在寺の見どころ
本堂
ご本尊並びに脇侍の3像は、2度の火災を奇跡的にくぐりぬけた、たいへんご利益のあるものです。本堂も、信徒の浄財のみで再建されたもの。その努力の跡を感じながら、ぜひ、3像のパワーを感じていただきたいです。
名号宝判
観自在寺の歴史を語るうえで欠かすことのできない「南無阿弥陀仏」と書かれた名号宝判。厄除けや安産、病気平癒に非常にご利益があるといわれています。当時「病気の人々を救いたい」と彫り上げた大師を想いながら、宝判を見物してみてください。
十二支守り本尊八体仏
十二支守りの本尊にお水を掛けていきながら自分の願いを伝えると長いが成就すると言われています。
栄かえる
親子三代が栄える、お金がかえる、病気が引きかえる、福がかえるなど様々なご利益が得られる栄かえるは必見です。
天皇之松

大師堂
本堂右にあり、平成5年に改築されました。総ひのきの宝形造りです。回廊では大師一代の像が安置されていたり、大師堂の前方には3種の法具が置かれていたり、大師にゆかりのあるものがたくさん。なお、四国八十八ケ所のお砂踏みも行うことができるのも魅力的です。
左にあるのが独鈷
中央にあるのが五鈷杵
右にあるのが三鈷杵です。
おびんずるさん
篠山大権現
まとめ
観自在寺の歴史や見どころはいかがでしたでしょうか。1本の霊木から紡ぎだされた、観自在寺の歴史。そのパワーは愛媛県最初の四国霊場としてふさわしいものがあります。
御朱印や本堂への参拝などで、ぜひ、その多大なご利益を享受していただければと思います。

