四国霊場第60番所である横峰寺(よこみねじ)のある石鎚山は、西日本最高峰の山岳として名高く、山間信仰の霊地としても有名です。
横峰寺は石鎚山の奥深くにあり、かつてその道のりは「遍路ころがし」と呼ばれ、四国霊場最大の難所であるとまでいわれたほどです。
現在は有料の林道が開通し、幾分か楽にはなったものの、いまだ難所として知られる横峰寺。その歴史や見どころ、御朱印などを紹介していきます。
横峰寺の歴史
横峰寺の縁起は白雉2年(651年)のこと。役行者が石鎚山の星ヶ森という場所で修行に励んでいたところ、山頂付近に蔵王権現(日本独自の山嶽仏教、修験道の本尊)が現れたそうです。役行者はその姿を石楠花(シャクナゲ)の木に彫りあげ、新たに建てた小堂に安置しました。これが横峰寺のはじまりであるといわれています。
また延暦年間(782〜806)に住み着いていた石仙仙人という行者は、桓武天皇の脳病を平癒させたことから、菩薩の称号をいただいたそうです。
弘法大師がこの地で修行に励んだのは806-810年の大同年間です。当時の大師もまた、蔵王権現の出現を感じ取ったことから堂宇を整備し、横峰寺を四国霊場のひとつとしました。以来、明治新政府の廃仏毀釈によって一時は廃寺となるものの、明治42年、檀信徒の協力によって無事に復興を果たしました。
横峰寺のご利益
横峰寺のご本尊は大日如来です。大日如来は「密教」における最高位の仏様。密教は約1300年前にインドで生まれた仏教の一つであり、弘法大師や天台宗の開祖、最澄によって、日本でも急速な広まりをみせました。
大日如来は、密教によるといわば宇宙そのもの。みなさんにもなじみ深い阿弥陀如来や薬師如来も、大日如来が変化した姿といわれます。つまり大日如来がいなければ、ほかの仏様も存在し得なかったのです。
「大日」とは「偉大な太陽」という意味を持ち、その光は夜も暗くならないほどに明るく、すべてのものを照らします。まさに宇宙のはじまり。大日如来をご本尊とする横峰寺も、さぞご利益があることでしょう。
横峰寺の御朱印
西日本最高峰の山岳、石鎚山の奥深くに境内をもつ横峰寺です。3月に参拝した時は、寺院周辺に残雪もみられたので、この時期に参拝される時は足元にお気を付けてください。御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずご本尊にご挨拶するのをお忘れなく。
写真が横峰寺の御朱印となります。揮毫は大日如来の種字「バン」に「大日如来」です。中央の宝印には、蓮台上の火炎宝珠に、同じく大日如来の種字である「バーンク」が描かれています。
その筆跡はどこか独特で、さすが大日如来がご本尊だという感じがします。
横峰寺の見どころ
駐車場から歓喜天堂へ
駐車場には「せとうち交通」のマイクロバスでも向かうことができます。途中の道は、通行料として普通乗用車は1850円、バスは1750円かかりますのでご注意ください。

駐車場から寺院には、山道を下って向かいます。写真は道中左手にあった「星月堂」という建物です。
境内
手前から歓喜天堂、大師堂と続き、本堂へと向かっていきます。
途中左手には鐘楼堂も。
大師堂から本堂への山際一面には石楠花の木が植えられています。住職さんが1本ずつ植えられたもので、5月には見事な景観になるそうですよ。石仏群も一緒にご覧ください。
本堂
本堂は神社風の権現造りです。中には弘法大師作の大日如来坐像が安置されています。鎌倉時代の金銅蔵王権現御正体像も祀られており、ともに県の重要文化財に指定されています。
訪問の際、香炉の火の始末をしている修行僧の姿を見ることができました。フード付きの暖かそうな服の上に作務衣を羽織り、寒そうに作業をしておられたのが印象的でした。

納経所前からの本堂の写真です。納経所は、本堂手前の石段を降りたところにあります。
納経所手前にある手水舎です。手水舎がこの位置にあるのは、本来寺院が山の下から登ってたどり着くものだからです。仁王門をくぐって境内に入ることから、いつもとは変わった位置に手水舎があるように感じるのですね。
本堂左手前には「星供大師」の像もありました。右手に剣、左手に星供の巻物という変わった出で立ちです。
大師堂
本堂から大師堂へと向かう風景を撮影しました。
まとめ
今回は四国霊場第60番札所「横峰寺」について、その歴史や御朱印、見どころをご紹介しました。
林道の開設によって以前よりは楽になったとはいえ、やはり「遍路ころがし」の難所といわれるだけのことはあります。
その分、石鎚山の山奥にたどり着いたときには、たいへんなご利益を授かることができるでしょう。ぜひ、横峰寺に足を運んでみてくださいね。
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