第60番札所「横峰寺」のある石鎚山から約10kmほど下ったところに、今回ご紹介する第61番札所「香園寺(こうおんじ)」はあります。
香園寺の特徴は、なんといっても大聖堂です。本堂と大師堂が納められたコンクリート造りの大聖堂が、他に類をみない四国霊場の雰囲気をつくりだしています。
インパクト抜群の香園寺。歴史や御朱印、見どころをご紹介します。
香園寺の歴史
まるで美術館のような近代的デザインですが、美術館とは裏腹に、香園寺の起源は古くまでさかのぼります。開基はなんとあの聖徳太子であるといわれ、四国霊場のなかでも屈指の古刹といえます。
聖徳太子は、当時の天皇であった用明天皇の病気の回復を祈願して、香園寺を建立したといわれています。その時、太子の前に金色の衣を羽織った翁が現れ、現在に残る大日如来を安置したという言い伝えがあります。天平年間(729〜49)には、行基菩薩もこの地を訪れたそうです。
大同年間(806〜10)に弘法大師が訪問。門前で身重の婦人が苦しんでいるところに遭遇し、大師は栴檀(せんだん)のお香を焚いて祈祷。婦人は無事に、元気な男の子を出産しました。
この出来事をきっかけに、大師は中国から持ち帰っていた小さな金の大日如来を本尊の胸に収め、再び栴檀の香を焚きながら「四誓願」と呼ばれる安産、子育てを祈る修法を寺に遺しました。香園寺が「子安の弘法大師」と呼ばれるのは、ここに理由があるのですね。
その後、大師は香園寺を四国霊場のひとつに定めました。
以来「天正の兵火」で長曾我部氏の兵火に遭い、寺院は一時衰退を迎えたものの、明治・大正時代に復興。大正7年には安産祈願などを願う「子安講」が創始され、その活動はいまや東南アジアやアメリカまで広がっています。
香園寺のご利益
香園寺のご本尊は大日如来です。主なご利益は現世の平穏、所願成就。未・申年生まれにとっては守り本尊でもあります。
大日如来は、陽を司る毘盧舎那如来(ぴるしゃなにょらい)がさらに進化した仏で、その光は夜をも照らすといわれます。
密教において、大日如来はまさしく宇宙そのもの。すべての命あるものは大日如来から生まれ、釈迦如来を含めた他の仏もまた、大日如来の化身であると考えられています。
大日如来を理解するにあたり、ふたつの異なる捉え方があります。
ひとつは、悟りを得るために必要な智慧を象徴する金剛界大日如来。もうひとつは、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来です。前者の「金剛」とは、いわゆるダイヤモンドです。とても堅く、絶対に傷がつくことのない智慧を表しています。
対して「胎蔵」とは、森羅万象がまるで母親の母胎のごとく、大日如来のなかに包み込まれている様を意味しています。
以上の2つの捉え方が対をなし、大日如来を中心とする密教の世界観をつくりだしているのですね。
香園寺の御朱印
古い歴史と、近代的な大聖堂を併せ持つ香園寺。御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずご本尊にご挨拶するのをお忘れなく。
こちらが香園寺の御朱印です。揮毫は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」です。中央の宝印には、弘法大師の法具のひとつ、三鈷杵(さんこしょ)に、大日如来の種字である「バン」が描かれています。なめらかで、かつ力強い字体が特徴的ですね。
香園寺の見どころ
参道
参道の左側を撮影しました。巡拝記念の石碑と句碑、手水舎、石標と寺名碑が続きます。
参道の右側です。地蔵尊の左には、種田山頭火の俳句2句が石碑に刻まれています。
こちらの小さなお地蔵様は、鐘楼堂の近くにございます。
聖徳殿
子安大師堂
大聖堂の右手前にあります。背中にゴザを背負い、右手に錫杖、左手に赤ん坊を抱いた大師の姿が彫られています。
子安大師堂で祈願をすると、納経の際ご本尊の御影と一緒に子安大師の御影もいただくことができますよ。
子安大師堂と本地蔵堂の間には石仏があります。
本地蔵堂と、弘法大師遠忌の石碑です。
参道近くにある鐘楼堂です。
大聖堂
昭和51年に建立されたもので、コンクリート造りです。高さは16mにわたり、1階が大講堂、2階が本堂と大師堂という構造をしています。納経所は参拝した時、プレハブ構造でした。
2階に上がったところでスリッパに履き替えて中に入っていきます。写真はありませんが、中央にご本尊の大日如来があり、ご本尊に向かって右側に大師像が安置されていました。本堂には620ほどの椅子席があります。中は薄暗いので、足元に気を付けながら参拝しましょう。
まとめ
第61番札所「香園寺」についてご紹介しました。
他とは一線を画した大聖堂を有しながら、その歴史は四国霊場のなかでも最も古い部類に入ります。そんなインパクト抜群の香園寺に、ぜひ足を運んでみてください。
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