四国霊場第64番札所「前神寺(まえがみじ)」は、国定公園・石鎚山のふもとにあります。石鎚山は日本七霊山のひとつとされ、真言宗派の総本山、修験道の根本道場としても有名です。かつての弘法大師もまた、石鎚山で修業を修めました。
多くの信徒を持つことでも知られており、その数は現在30万人を超すといわれています。人々に信仰され、愛されてきた前神寺は金の招き猫も人気です。その歴史や御朱印、見どころなどご紹介します。
目次
前神寺の歴史
縁起によると、修験道の租である役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が、石鎚山にこもって修行をはじめたのが天武天皇の時のこと。修行を通して、釈迦如来と阿弥陀如来が人々の苦しみを救済するため、石蔵王権現として姿を変えて現れたのを感じ取ったそうです。
小角がそれらの尊像を彫り上げて安置したのが、前神寺の開創であると伝えられています。後年、自身の病気が回復したことから桓武天皇が七堂伽藍を建立、勅願寺として「金色院・前神寺」の称号を下賜しました。
「空海」として修行に励んでいた若き弘法大師も、石鎚山には2度入山しています。虚空蔵求聞持法(虚空蔵菩薩を本尊として行う記憶力増進のための修法)や21日の断食修行を行った記録が残っています。
歴代天皇の手厚い帰依や、江戸時代には西条の藩主である松平家の祈願所にもなるなど、寺運は隆盛を極めます。しかしながら明治時代の幕開け、新政府の出した神仏分離令により寺領が没収され、前神寺は廃寺となります。
霊場として復興したのは明治22年。以後、毎年7月1日には数万人もの白衣を着た信者たちが集まり「なんまんだ」と唱和する「お山開き」が行われるなど、現代でも盛り上がりをみせる四国霊場なのです。
前神寺のご利益
前神寺のご本尊は阿弥陀如来。極楽往生や現世安隠のご利益があり、戌・亥年生まれにとっての守り本尊でもあります。
東方浄瑠璃界の教主である薬師如来に対して、阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主であるといわれます。無限の寿命を持つことから「無量寿如来」の呼び名もあり、限りない光の智慧と限りない命をもって、人々を救済へと導き続けます。
阿弥陀如来が掲げた「四十八願」のひとつが「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を、必ずや極楽浄土へと導こうという願いです。いわゆる念仏を推進するこの方法は、広く民衆から支持されました。また、あまり知られていませんが「他力本願」も四十八願にその由来があります。極楽に行くために阿弥陀様にすがっていこうというのが本来の意味です。
装飾品を一切持たない見た目が特徴で、これは釈迦如来とも共通する特徴です。第1指ともう1本の指をねじった印は「來迎印」と呼ばれるもので、阿弥陀如来が極楽浄土に迎えに来たことを意味しているそうですよ。
前神寺の御朱印
数万人を動員する「お山開き」が行われるなど、今なお多大な影響力を持つ四国霊場、前神寺。御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずはご本尊に挨拶するのを忘れないようにしましょう。
さて、こちらが前神寺の御朱印です。揮毫は阿弥陀如来の種字である「キリーク」に「阿弥陀如来」です。中央の宝印は、蓮台上にある火炎宝珠に種字の「キリーク」が描かれています。
なめらかなようで、どこか力強さを感じさせる御朱印です。さぞ存分なご利益をいただくことができるでしょう。
前神寺の見どころ
総門
もともと神仏習合の寺院であった前神寺。
門の外には狛犬のように、阿吽の形で獅子が安置されていました。
参道
参道右側には石仏群がありました。参道には桜の木もあり、その向こうに写るのは客殿です。
極楽橋
極楽橋です。渡ってしばらく右手に進むと手水舎があります。かならず手は清めておきましょう。
鐘楼堂
先代住職の像
左は「善識上人」右は「善尭上人 」。
金比羅大権現の祠
薬師如来&地蔵尊の祠
本堂に向かう左側にある石の祠には、右側に「薬師如来」左側に「地蔵尊」と彫られています。