四国66番札所である「雲辺寺(うんぺんじ)」は、四国霊場のうちで最も高い場所に境内をかまえます。
その標高、911メートル。四国山脈の山頂近くにある霊場で、かつては「遍路ころがし」と呼ばれる難所にも指定されていました。
住所としては徳島県ながら、霊場としては香川県・讃岐の打ち始め「関所寺」として知られる雲辺寺。その御朱印や歴史、見どころなどご紹介していきます。
目次
雲辺寺の歴史
縁起によると、弘法大師は過去3度にわたり雲辺寺を訪れたそうです。
最初は延歴8年、大師が16歳の青年であったときです。第75番札所である善通寺の建材を求めて山を訪れた弘法大師は、深淵な霊山の雰囲気に心打たれ、堂宇を建立、これが雲辺寺のはじまりとされています。
2度目は大同2年(807)、大師が34歳のころです。唐から請来(経典などを海外から持ってくること)した宝物を用いて、秘密灌頂の修法をなされたといいます。
3度目にあたる弘仁9年(818)には嵯峨天皇の勅命を受けて登山し、本尊ならびに仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を安置。七仏供養を行ったうえで、雲辺寺を四国霊場のひとつに定めました。
雲辺寺は「四国高野」と称されるようになり、四国各地からの僧侶たちの学問や修行の場として栄えました。
天正年間(1573〜92)には、かの有名な土佐の豪族・長宗我部元親がこの地に陣して、雲辺寺に参拝したといいます。裏山から眼下を望み、四国制覇を目指す元親に対し、当時の住職が説教をしたとの言い伝えが残っています。
多少の消長はあるものの、伽藍が焼失したりすることもなく、時代の権利者たちの手厚い保護を受けてきた雲辺寺。その名のごとく、今もなお、山頂の雲に包まれながら法灯を守っています。
雲辺寺のご利益
雲辺寺のご本尊は千手観世音菩薩です。
千手観世音菩薩といえば、なんといってもそのビジュアルが特徴的ですね。観音様のなかでも人気が高く、アニメや漫画のキャラクターにもモチーフとしてしばしば取り上げられています。
多くの人々に救いの手を差し伸べるため、観音様が変化した一形態とされています。手の本数ばかりに目がいきがちですが、これらの手の平ひとつひとつに眼がついていることは、案外知られていません。その眼を使って困っている人々をくまなく探そうとした様子から、千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)という別称もあります。
千本の手(千手)は、見た目から想像できるように、構造上非常に壊れやすいため、時には千手なしに彫像されるケースもあります。
雲辺寺の御朱印
四国山脈の山頂近くに境内をもち、つつましくも確かに、その存在感を発揮する雲辺寺。御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずはご本尊に参拝するのをお忘れなきよう。
こちらが雲辺寺の御朱印です。揮毫は千手観音の種字である「キリーク」に「千手観音」です。中央の宝印には、蓮台上の火炎宝珠に千手観音の種字である「キリーク」・不動明王の種字「カーン」、さらに毘沙門天の種字である「ベイ」が描かれています。
なめらかで、それでいてなんとも力強い御朱印ですね。
雲辺寺の見どころ
ロープウェイ山麓駅~山頂駅まで
雲辺寺山頂近くに寺院をかまえているだけあって、とにかく気温が低いです。防寒具を忘れないようにしましょう。今回は山頂駅から出発します。
これは山頂駅からの風景です。雲辺寺は四国有数のスキー場としても有名です。
厄除け交通安全祈願所
山頂駅を降りて正面左側に「厄除け交通安全祈願所」の石碑とともに石仏が並んでいます。
雲辺寺の寺領は徳島県と香川県にまたがっているので、道に県境が書かれていました。
展望台への道です。毘沙門天展望台からは、360度で雲辺寺山の眺望を楽しむことができます。