遍路86番は志度寺(しどじ/しどうじ)です。こちらも広い境内と見どころがたくさんあるお寺で、お遍路さん以外にも多くの人が訪れている人気スポットなのです。また、志度寺は美しくも悲しい海女の玉取り伝説が有名です。歴史上の人物も関わってくるので、志度寺で歴史を感じることができます。そんな志度寺の御朱印や見どころをご紹介します。
志度寺とは

志度寺は625年に凡園子尼(おおしそのこに)が霊木を刻んで精舎を建てたことが始まりとされています。
志度寺の歴史には有名な「海女の玉取り伝説」が深くかかわっています。この伝説がきっかけで藤原氏によって志度寺の基礎が築かれ、さらに繁栄していきました。
3万3千平方メートルの広い境内にはその歴史を感じられる様々な見どころが点在しています。「海女の墓」「曲水式庭園と無染庭」「田宮坊太郎ゆかりお辻の井戸」など、訪れる人に歴史を感じさせてくれるでしょう。
また、1185年の屋島の戦いに敗れた平家一族が、この志度寺周辺で繰広げた源氏との激闘にも敗れ、西国に落ち延びていったという哀しくも遠い物語もあります。周りを自然に囲まれ、海も見える志度寺は、時間によっては表情の違う絶景を楽しむことができるお寺です。
志度寺に伝わる海女の玉取り伝説とは
志度寺の発展のきっかけになった海女の玉取り伝説について詳しくご紹介します。
時代は飛鳥時代にさかのぼります。藤原鎌足が亡くなった知らせを聞いた娘白光は、当時唐の高宗に嫁いでいましたが、父の供養のために兄である藤原不比等に3つの宝物を唐から日本に送りました。船で運んでいる途中、龍神が現れ、宝物の1つ「面向不背の玉」が奪われてしまいます。

鎌足の跡を継いだ息子の藤原不比等は志度の地におもむき、玉の行方をさがしていましたが、なかなか見つかりません。ある時海女と出会い、恋に落ちて男児をもうけます。数年後、不比等は自分の素性とこの地へやって来た目的を明かして助けを求めたところ、海女は玉の奪還を試みて海に入りましたが、龍神に襲われてしまうのです。
海女は最後の力を振り絞って、護身の短刀で自らを十字に切り裂くと玉を乳房下に埋め込み海面に浮上します。そして不比等に取り出した玉を渡し、残された男児を藤原家の跡取りにと頼むと息を引き取ったという伝説です。
藤原不比等は海女との息子である房前を跡取りとし、房前は出世していきます。
奪還した「面向不背の玉」は、その後興福寺に納められ、現在は琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺に納められています。

藤原不比等と息子である藤原房前は志度寺に海女を葬り、これは今でも「海女の墓」として残されています。
志度寺のご利益
志度寺のご本尊は「十一面観世音菩薩」です。志度寺の十一面観世音菩薩は喜怒哀楽の十一の顔を持ち、不安や悩みを抱える人のすべての話を聞いてくれるそうです。礼儀正しく参拝すれば、救われたという感覚を味わえるかもしれませんね。

観音菩薩と名の付く仏には、千手観音菩薩、聖観音菩薩などがあります。それは観音菩薩は三十三の姿に変化してすべての人を救うといわれているからです。この変化の様子を仏像で表したために多様な観音菩薩が作られるようになりました。
三十三という数字は33種類という意味ではなく、「全ての人の求めるものに応じて如何なる姿にも変化する」という意味が込められています。
観世音菩薩のご利益は「現生利益」と「後世利益」の2種類あります。前者は生きているうちに得られるご利益、後者は死後に得られるご利益になります。
十一面観世音菩薩のご利益は十種勝利と四種果報とされています。10種類の現世利益、4種類の後世利益という意味で、全部で14種類の幅広いご利益が得られると言われています。
志度寺の御朱印の特徴
志度寺は四国お遍路86番目のお寺ということで、御朱印をいただくことができます。お遍路をしている人も、そうでない人もいただくことが可能です。御朱印とお御影は仁王門を入って右側にある納経所でいただくことができます。御朱印をいただくまえにお経を読む人が多く、自然とそれが礼儀となっているようです。
志度寺の御朱印はとても達筆な文字で、強い太字が背中を押してくれるような心強さを感じます。右上、中央、左下に朱印が押されますが、中央の朱印は志度寺の海女の玉取り伝説を連想させる「玉」の入った朱印で、とても印象的です。

大きなお寺なので、団体客やお遍路さんで混み合うこともありますが、そんな時は広い境内を散策しながら待ちましょう。
あまりに混んでいると参拝前なのに、空いているからと先に御朱印をいただこうとする人がいます。しかし、せっかくいただきに来た御朱印なので、やはりご利益をいただきたいものです。順序としては参拝をしてから御朱印をいただきに行くのが、ご利益も一緒にいただけるコツです。
志度寺の見どころ

志度寺の見どころは大きいものから小さいものまで、とにかく数が多いです。その中から、見逃してほしくない見どころを紹介します。志度寺の仁王門と本堂は高松藩主「松平頼重」より寄進されたもので、国の重要文化財に指定されています。仁王像は運慶作と伝えられています。
本堂も歴史を感じる堂々としたものです。本堂に安置されているご本尊と不動明王立像・毘沙門天立像は檜一木造りで平安時代のものと伝えられ、こちらも重要文化財です。

志度寺の境内でひときわ目立つのが五重塔です。昭和50年に完成した高さ33メートルの朱色が鮮やかな塔です。地元出身の実業家・竹野二郎によって寄進されました。海沿いの平地にあるお寺の存在が遠目でも分かる志度寺のシンボル的存在になっています。
本堂の向かって右側にある大師堂。大師堂というのは、空海(弘法大師)を祀るお堂のことです。

奪衣婆堂(だつえばどう)は、三途の川を渡って来た亡者の衣服を奪い取って、木にかけた時のしなだれ具合や衣の濡れ具合で生前の罪の重さを測ったと言われる奪衣婆を祀っています。お堂の前ではドキドキしますね。

お寺南側の書院と宝物館の裏側にある「曲水式庭園」と「無染庭」は、是非拝観しておきたいスポットです。曲水式庭園は室町時代に管領の細川氏によって作庭されたもので、貴族が屈曲した川の流れの前に座り、上流から盃が流れてくる間に歌を詠み、流れてくる酒を飲む「曲水の宴」を行っていたそうです。昭和に入りこの曲水式庭園の修繕と同時に著名な作庭家・重森三玲によって造られたのが枯山水の無染庭です。
無染庭は「海女の玉取り伝説」を表現しているそうで、岩と白砂で瀬戸内海の島と波を、岩に隠れるように岩を配置しているのは海女が「玉」を隠して持ち帰ったことを表しているのだといわれています。
まとめ
志度寺の御朱印や見どころはいかがでしたか。
志度寺は長い歴史を持つお寺ですが、その中で多くの興味深いエピソードや伝説を持ち、それを現代に伝える文化財がたくさん残っています。知れば知るほどに味のあるお寺です。余裕があれば志度寺の歴史を学んだ上で参拝すると、より楽しめますよ。
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