
四国お遍路87番にあたるのが長尾寺(ながおじ)です。長尾寺は歴史上の人物に縁のあるお寺としても知られていて、歴史好きな人にも人気のあるお寺です。そんな長尾寺の気になる見どころやお遍路でいただく御朱印についてご紹介していきます。
長尾寺とは

長尾寺の開創は、聖徳太子と言い伝えられています。奈良時代739年に聖武天皇の勅願で行基が道端の霊夢を感じた木で聖観音菩薩像を彫り本尊として安置したそうです。
その後、弘法大師もこの地を訪れ、唐に渡る前に年頭七夜(年明けから7日間)に渡り護摩祈祷を修法して、唐から帰国後に堂宇を建立。第87番札所として定められました。
年頭7日目の夜には護摩符を人々に与えたという言い伝えから、毎年1月7日の「大会陽」では本堂から福餅が投げ与えられます。
また、大会陽で行われる「力餅運搬競技」は大鏡餅を運ぶ競技ですが、これはある力士が、長尾寺の境内にある大きな石を持ち上げて、仁王様に祈念して金剛力を授かったということから始まり100年以上行われている名物行事です。
お遍路以外にも訪れる人が多く、地元の人にも親しまれているお寺です。国の重要文化財に指定されている建物も多く、見どころが多いのが特徴ですね。
長尾寺のご利益
長尾寺のご本尊は聖観音菩薩です。聖観音菩薩は苦難を取り除く仏様といわれています。

長尾寺には今も言い伝えられている不思議なお話があります。戦国時代から江戸時代にかけて、この辺りは度々戦災・火災の被害に見舞われていました。長尾寺の辺りも大惨事になったのですが、何故か行基が彫像したと伝わる御本尊は不思議と無事でした。
そのため讃岐藩初代藩主、松平頼重により「当国七観音随一」とされ、秘仏としてお祀りされています。
地元の人には度々の火災に遭いながら無事であることから、「長尾のお観音さん」と呼ばれて親しまれています。そんなご本尊はあらゆる災いから守護してくれる心強いご利益や、病気の治癒を助けてくれる癒しの力があるといわれています。
この世の中で出会うどのような災害からも救ってくれるので「七難三毒」と言われるものが除かれます。様々な苦を絶ち、いっさいの煩悩を滅ぼし、守護してくれる仏様です。
長尾寺の御朱印の特徴

長尾寺ではお遍路さんをはじめ、訪れた人には御朱印を授与しています。ここでは御朱印をいただく前にお経本を開いて、般若心経を読みます。バスで参拝に来る団体客が訪れた際には、般若心経を読む声がお堂に響いて不思議な光景です。自分で読んだ般若心経がちゃんと届いているか心配になるかもしれませんが、心を込めて読みましょう。
長尾寺の御朱印は踊るような躍動感のある文字です。もちろん書いていただいた人によって異なりますが、そこが御朱印の良いところでもあります。右上、中央、左下に朱印が押されていて、中央には墨書きで「聖観音」と大きく書かれています。

ひとつひとつ手書きで書かれているので、時間帯によっては混み合うこともありますので、お遍路の場合は時間に余裕を持って回りたいですね。
御朱印は神社や寺院に参拝した証として、御朱印帳にいただくものです。お遍路では江戸時代から続いている写経した「経文」を奉納する伝統にあやかって、般若心経を読むというパターンが多いです。もちろん時間があれば写経した経文を納めるのが良いでしょう。長尾寺の御朱印は「納経所」でいただくことができます。事前に納経帳を用意してのぞみたいですね。
長尾寺の見どころ

長尾寺は見どころが数多くあることでも知られています。王道で行くと長尾寺の本堂、大師堂、護摩堂はどれも歴史ある素晴らしい建物です。歴史的価値があるということで国の重要文化財に指定されています。本堂は1683年に藩主松平頼重が堂塔を建立しました。大師堂は1年に1度御開帳するので、それに合わせて長尾寺を訪れる人も多いです。
そして、山門である仁王門には巨大な大草鞋がかかっています。長尾寺のシンボルともいえる大草鞋を見逃さないでくださいね。
両脇に仁王様の姿がないと思われた方は、鋭いですね!昔し昔、ここまで仁王像を運んでくれる人がいなかったようで、当時の住職さんが、仁王像を設置したいと願っていたら、仁王様が歩いて現れたという言い伝えがあるそうです。だから仁王門には大草鞋があるのでしょうか・・・
現在は、仁王様がいらっしゃるようで良かったです。
仁王門の前にある「経幢」は鎌倉時代中期から後期にかけて造られた石造りの塔で、中国の唐から宋の時代に流行した経文を保存したり、供養の標識として建立されるという意味があったそうです。
長尾寺の経幢は国の重要文化財に指定されていて、歴史的にも貴重なものです。お遍路足休めに、じっくり見ておきたいものですね。
長尾寺の境内の南側には大きな楠木(くすのき)があります。樹形は極めて端正で、樹勢も良好といわれている楠木はお遍路さん道中安全やお寺のお守りをしたという「おせんタヌキ伝説」が伝わっています。

おせんタヌキ伝説とは弘法大師が四国88ヶ所の霊場を開基した際に、悪さばかりをする狐を追い出し、その代わりにどこか憎めない狸をお使いの為に置いたというものです。とても立派な巨木なので、是非パワーをいただいておきましょう。
長尾寺と静御前

長尾寺で最もゆかりの深い歴史上の人物と言えば、源義経の側室であった「静御前」です。静御前は平安時代後期に当代随一の「白拍子」で、源平合戦で活躍した源義経に見初められて側室になります。
しかし、義経が兄である源頼朝と対立して落ち延びる途中に離れることになり、その際に義経の子を妊娠して出産しました。しかし対立していた頼朝の意向で息子を殺されてしまいます。その後、静御前は自殺も考えましたが母を伴っていたために思いとどまり、母の生まれ故郷である讃岐國に渡りました。そして長尾寺で出家得度したという伝説が残っています。
長尾寺には出家の際に剃髪した髪を埋めたといわれる「静御前剃髪塚」が残されています。たくさんの訪問者が静御前の悲しいエピソードを偲び、手を合わせる姿が見られます。
まとめ
長尾寺の見どころや御朱印についてはいかがでしたか。
義経と静御前の切ないエピソードが心にしみる長尾寺は、歴史に触れることもできるお寺で、経幢や仁王門の大草鞋など、見どころが多数あるので、つい長居してしまいそうです。歴史好きな人には特におすすめなお寺です。
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