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御朱印とご利益
お参りをしてから、社務所で御朱印をお願いすると、戸畑祇園大山笠のお祭りの最中であったにもかかわらず、快く書いてくださいました。一文字一文字に心を込めて書いてくださいました。御朱印にも絵馬にも天神さまの梅の印が押してあります。

菅原神社は、学業成就、受験合格、厄災除けのご利益があります。絵馬の掛け所にも合格祈願の絵馬が掛けてありました。御朱印料は300円です。

菅原道真公について

道真は、平安時代初期845年(承和12年)祖父・父から続く学者の家に生まれました。幼少より詩文の才能があり、877年数え年33歳のとき大学寮で詩文と歴史を教授する文章博士(もんじょうはかせ)となりました。
886年讃岐の守(さぬきのかみ、現在の香川県の長官)として赴任します。その間に宇多天皇と関白藤原基経との間に起こった政争「阿衡事件(あこうじけん)」をうまく収めたことで、任期を終えて帰京すると、宇多天皇の信任を受けて、異例の昇進を続けます。
897年宇多天皇が譲位し、醍醐天皇が即位しますが、宇多上皇の訓示により、藤原基経の子藤原時平が左大臣に、道真が右大臣に任じられます。しかし、公卿の中には、道真の学者の家という家格を超えた栄達を妬む者も多く、藤原氏にとっては強力なライバルと見なされるようになります。
そして、901年、従二位に叙されてまもなく、道真が自分の娘婿にあたる斉世親王(ときよしんのう)を皇位につけようとしていると時平に讒言され、大宰員外帥として左遷されます。大宰員外帥というのは、この頃は、大宰府長官の代理である大宰権帥(だざいごんのそち)と区別されており、大臣経験者が中央で失脚したときの左遷ポストの一つでした。長男の高視はじめ子ども4人も流刑になりました。
道真が大宰府に赴くとき、道中の諸国で馬や食べ物を給付してもらえず、刺客に襲われたり、半ば壊れた船を与えられたりなどの嫌がらせを多々受けたといわれています。
大宰府に到着してからも、浄妙院(榎寺)のあばら家で謹慎生活を送り、2年後の903年2月25日に亡くなりました。門弟の味酒安行(うまさけやすゆき)が遺骸を牛車で安楽寺へ運ぼうとすると、お寺の門前で牛が伏せて動かなくなりました。そこで安行はその地に道真を葬り御墓としました。
道真の死後、都では異変が次々と起こります。909年に道真を大宰府へ追いやった藤原時平が39歳の若さで病死したのをはじめ、時平関係の人物が相次いで亡くなります。また、洪水や大火、水疱瘡の大流行などが続き、道真の祟りと恐れた朝廷は、919年に醍醐天皇の勅命で、御墓の上に社殿を造営しました。これが現在の太宰府天満宮の前身安楽寺天満宮です。

しかし、祟りは依然として収まらず、923年醍醐天皇は道真を左遷したみことのりを覆し、右大臣に復帰させ、正二位を贈りました。それでも930年には醍醐天皇が臨席する太政官の会議の最中に、清涼殿の南西の柱に落雷があり、多くの廷臣が死傷しました。そのショックで、醍醐天皇も体調を崩し、落雷から3ケ月後に亡くなってしまいます。
清涼殿の落雷以降、道真の雷神伝説が起こります。947年朝廷は、道真の祟りを鎮めるために、京都に道真を祀る北野天神社を造営しました。987年には勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の呼び名が道真に贈られました。

さらに993年には正一位左大臣、続いて太政大臣が追贈されました。天皇や皇族を祀る神社と同格の、北野天満宮、安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)と称することが許されたのです。よほど道真の祟りを恐れたことがわかりますね。
そして、室町時代以降は、優れた学者でもあった道真は学問の神様として信仰されるようになります。こうして現在でも学問の神様、受験の神様として絶大な信頼を集める神様となったのです。
アクセスと周辺の見どころ
菅原神社のアクセス
〒804-0044 福岡県北九州市戸畑区菅原1-10-15 電話093-881-2418
JR戸畑駅から西鉄バス40・42番「菅原神社前」下車、徒歩1分。
周辺の見どころ
飛幡八幡宮(とびはたはちまんぐう)

福岡県北九州市戸畑区浅生2-2-2
神巧皇后・比売大神・応神天皇・須佐之男命・道祖神をご祭神とし、天正年間に戸畑、中原両村の産土神として起こりました。1920年戸畑村鳥旗から浅生の地に遷座されました。7月下旬の「戸畑祇園大山笠」のお祭りでは、東大山笠の御宿となります。
旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)

福岡県北九州市戸畑区一枝1-4-33
九州工業大学創立者の一人である松本健次郎氏の住居と迎賓館として、1912年に建築されたもので、国の重要文化財に指定されています。辰野金吾氏設計による洋館は、アール・ヌーヴォー様式を取り入れた優美な外観・内装です。日本館は久保田小三郎氏の設計による気品ある数寄屋造りです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
7月22日に行われた戸畑祇園大山笠競演会の翌日、知人に案内していただいて菅原神社を訪れました。境内に入ると、ここを御宿とする天籟寺の幟大山笠が町へ繰り出した後だったこともあり、お祭りの最中にもかかわらず、静かで落ち着いた雰囲気が感じられました。昔は天籟寺というお寺で、道真公が泊まったこと、牛の蹄の跡や御手洗の池など道真公ゆかりの伝承がある神社ということに惹かれました。
京都から大宰府までの航路沿線には、数々の道真公の伝承やゆかりの天神社が点在しています。その一つが戸畑区の菅原神社です。
京都の邸を去るときに
「東風(こち)吹ふかばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな(拾遺和歌集)」
(春になって東の風が吹いたならば風にのせて香りを送っておくれ、梅の花よ。主人がいなくなったからといって春になったのを忘れないでくれ。)
と詠んだ梅が、京都から一晩で大宰府に飛んできたという「飛び梅伝説」も人々の心を打ちます。
江戸時代中期には、道真公の左遷事件を題材にした『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)という作品が創られ、人形浄瑠璃や歌舞伎で大ヒットしました。現在でもしばしば上演される義太夫浄瑠璃の三大名作の一つとなっています。
『菅家文草』『菅家後集』などの漢詩文集の著述や『類聚国史』の編集など、文人・学者としての功績も多大です。政治家としても実力があり、清廉で誠実な人柄でありながら、無念な最期を遂げた人物だけに、同情とともに、多くの人々に崇敬される天神さまとなりました。その道真公ゆかりの菅原神社です。近くに行かれた際には訪れてみてはいかがでしょうか。




いつもながら素晴らしい記事を読んで感動しました。
以前湯島天満宮に行きましたが、道真公を祭っている神社が12000もあるとは驚きました。
牛が横たわっている事もやっとわかりました。
ここが本家なのですかね、立派な境内ですね、写真だけでもわっかります。
次の記事も楽しみにしています。
ご訪問ありがとうございます。実は私も調べていて驚いたのです。天神社が約12000社もあり、全体の15%にもなることに。菅原道真公の人気度がわかりますね。天満宮の本家は太宰府天満宮と京都北野天満宮だと思います。戸畑の菅原神社は太宰府への通過点ですが、一夜の宿を頼んだことや、御手洗の池や牛の蹄の跡のような伝承があることが魅力です。
ぜひ機会がありましたら訪れてみてください。