信濃国一之宮の諏訪大社は、我が国最古の神社の一つに数えられ、山や木という自然を御神体とする古い信仰の形を今に留めています。寅年(とらどし)と申年(さるどし)に建て替えられる御柱(おんばしら)と宝殿。2022年は諏訪地域6市町村約20万人の氏子たちが奉仕する御柱祭の年にあたります。
諏訪湖の南岸に鎮座する上社の本宮と前宮、北岸に鎮座する下社の春宮と秋宮の四社を巡って、真新しい御柱に触れられるチャンスです。前回の上社に続いて、今回は幣拝殿(へいはいでん)や神楽殿が美しい下社をご紹介しましょう。
目次
諏訪大社とは
諏訪大社とは
上社(かみしゃ)
本宮(ほんみや)諏訪市、前宮(まえみや)茅野市
下社(しもしゃ)
春宮(はるみや)下諏訪町、秋宮(あきみや)下諏訪町
の四社の総称です。元は「上諏訪神社」「下諏訪神社」という別々の神社でしたが、明治時代初めに一つになり、1948(昭和23)年から他の諏訪神社と区別して「諏訪大社」という名称になりました。全国に分霊を祀る1万余りの諏訪神社の総本社で、「お諏訪さま」「諏訪明神」として親しまれています。
建御名方神(たけみなかたのかみ) 男神
八坂刀売神(やさかとめのかみ) 女神
上社は男神の建御名方神を、下社は女神の八坂刀売神を主祭神としています。
そのことから冬季の諏訪湖の湖面に一部盛り上がった氷堤が見られる現象「御神渡り(おみわたり)」は、上社の男神が下社の女神のもとへ出かけた跡だというロマンチックな伝説が生まれました。かつてはその亀裂の形で吉凶を占ったとか。暖冬のせいかここ数年は見られなくなっています。
諏訪大社の歴史については、【諏訪大社、御柱祭の年に四社まいりでパワーアップ!〔上社編〕見どころ&御朱印】をご参照ください。
下社とは
かつて上社・下社は対立し、室町時代に、下社の最高位の神官である大祝(おおほうり)の金刺(かなさし)氏が上社を攻めましたが、逆に攻め込まれて金刺氏は消滅しました。その後は武居氏から大祝が出るようになりました。
下社の祭神は、旧暦の季節で春の2月1日(~7月31日まで)に春宮に遷座し、秋の季節8月1日(~翌1月31日まで)に秋宮に遷座します。半年ずつ交代して鎮座されるのです。
春宮(はるみや)は幣拝殿が美しい! 見どころ
春宮は、JR下諏訪駅から北西に約1㎞の旧中山道沿いにあります。鳥居前のまっすぐ伸びる約800mの道路は、かつて武士たちが流鏑馬(やぶさめ)を競った馬場でした。
途中にある「下馬橋(げばばし)」は、室町時代の建立で春宮では最も古い建造物です。
殿様でさえここでは馬や籠から降りたことからこの名があります。現在は年に二度の遷座祭の時にみこしが渡ります。
手水舎(てみずや)
鳥居の手前にあります。
鳥居
御影石の大鳥居は万治2(1659)年の建立と推定されます。境外にある「万治の石仏」(後述)と同じ作者と伝えられています。
参道
鳥居をくぐると、整然とした参道が迎えてくれます。その先に神楽殿と狛犬が見えます。
結びの杉
狛犬の右前方にしめ縄をめぐらした杉の木があります。木の先は二股に分かれていますが、根元は一つになっていることから縁結びの杉と言われています。
神楽殿(かぐらでん)
神様に雅楽や舞を奉納する建物で、江戸時代前期に落成した建物です。しめ縄は御柱祭ごとに新しく奉製され、2021年12月、出雲大社型で、全長6.3m、重さ約350㎏のしめ縄が奉納されました。真新しい大きなしめ縄にパワーをいただきました。
幣拝殿(へいはいでん)・左右片拝殿(さゆうかたはいでん)いずれも重要文化財
二重楼門造り(にじゅうろうもんづくり)の建物は、御幣を奉じる幣殿と拝殿が一体となったもので幣拝殿といいます。その左右に連なる建物を片拝殿といいます。
幣拝殿の屋根は、切妻造り(きりづまづくり)・平入(ひらいり)の檜皮葺(ひわだぶき)で、正面は軒唐破風(のきからはふ)をつけています。
高島藩に仕える宮大工で、当時全国に知られた大隅流の柴宮(伊藤)長左衛門により、安永9(1780)年に落成しました。
秋宮の幣拝殿の建て替えを立川和四郎が請け負ったことを知り、採算を度外視して春宮の建て替えを申し出、同じ絵図面で大隅流の威信をかけて、秋宮より遅く取りかかり、1年早く完成させたそうです。
一流の匠(たくみ)の技を総結集した牡丹や獅子など、躍動感あふれるみごとな彫刻は、見る者を飽きさせません。幣拝殿に豪華さを醸し出しています。
拝殿内部も上部の桁(けた)にからみつく龍や両脇の竹の彫刻がみごとです。
宝殿(ほうでん)
この幣拝殿の奥に東西二つの宝殿があります。手前の格子の奥に見えるのが宝殿です。方三間の神明造り(しんめいづくり)で、萱葺(かやぶき)・切妻造り・平入の簡素で古風な形式です。
本殿を持たない諏訪大社ですが、本殿に相当するのが宝殿です。6年ごとに行われる御柱祭で交互に一棟が建て替えられ、遷座祭が行われます。2022年5月13日の夜、西の宝殿から新築された東の宝殿へみこしが遷されました。
8月1日の遷座祭で、宝殿から御霊代(みたましろ)を乗せたみこしが、幣拝殿と神楽殿の中を通って、下馬橋を渡り、秋宮へ移動しました。翌2月1日の遷座祭で逆コースをたどってこちらに戻ります。
御神木(ごしんぼく)
東西宝殿の後ろに御神木の杉の古木を御神体として祀っています。自然を神とする古い信仰の形を継承しています。
一之御柱(いちのおんばしら)
幣拝殿の右側にあります。神域の四隅に御柱が建てられているのが諏訪大社の特徴の一つです。御柱は寅年と申年に建て替えられます。
2022年5月はじめに新しく曳き建てられたばかりのみずみずしい御柱です。高さ約17m、直径約1m余のもみの木はきれいに木肌が磨かれ光り輝いていました。そっと触れてパワーをいただきました。
二之御柱(にのおんばしら)
幣拝殿の左側にあります。二之御柱の奥に三之御柱、一之御柱の奥に四之御柱が建てられています。4本の御柱は一之御柱から時計回りに社殿を囲むように建てられていて、順に低くなります。
子安社(こやすしゃ)末社
二之御柱の左側にあります。諏訪明神の母神である高志沼河比賣命(こしのぬなかわひめのみこと)が祀られており、子授け、安産の守り神として親しまれています。水が通りやすいようにお産を楽にということから底を抜いたひしゃくが安産祈願として奉納されていました。
筒粥殿(つつがゆでん)
農業の神様である下社の筒粥神事が行われる所です。毎年1月14日の夜から15日の朝にかけて、神職がいろりを囲み、一晩中釜に葦の筒と米と小豆の粥を入れて炊き込みます。葦の筒44本のうち43本は農作物の吉凶を、残りの1本は世の中の吉凶を占います。土間の中央に江戸時代初期のものといういろりがあります。
春宮境内への木落し口
御柱祭で春宮・秋宮の御柱8本が上の道路から落とされる場所で、“ミニ木落し”が行われる所です。2022年の御柱祭は山出しの大がかりな「木落し」は中止となりましたが、この春宮境内へのミニ木落しは実施されました。
おみくじ
社務所にあります。一般的なおみくじ100円、黒曜石入りのおみくじ・翡翠入りのおみくじは300円です。
おみくじ結び所・絵馬掛け所
御朱印 御柱祭年の特別印付
春宮の御朱印です。右下の赤い印は、御柱祭年だけに押印される特別印です。
特別印は、中央に「春宮」、周囲の上半分に右から左へ「信濃國一之宮諏訪大社」、下半分に右から左へ「令和四年壬寅年式年御柱大祭」という上社と同じ文字が彫られています。
特別印は令和4年1月1日~12月31日まで。初穂料は500円、社務所でいただけます。
浮島社(うきしましゃ)末社
境内の左手に「万治の石仏」方面への道があります。進んでいくと、下社七不思議の一つ砥川(とがわ)の浮島があります。この島はどんな大水にも流れないとのこと。
浮島社は祓戸大神(はらえどのおおかみ)が祀られているといわれ、6月30日に夏越の大祓式(なごしのおおはらいしき)がここで行われます。
万治の石仏(まんじのせきぶつ)
浮島社の左手の赤い橋を渡ると、名前の通り、物事を万事まるく治めて願いをきいてくれるという石仏があります。
高さ2.6m、胴回り約12mの大きな自然石にちょこんとした首、手は阿弥陀如来の定印(じょういん)を結び、胸には逆卍、雷、太陽、雲、月などの記号が彫られています。これは密教の曼陀羅(まんだら)を表しているそうです。
昭和49(1974)年の御柱祭に訪れた画家岡本太郎が「世界中歩いているがこんな面白いものを見たことがない」と絶賛したことから、訪れる人々が増えたとのこと。なんともユーモラスな表情の石仏で、天才的な岡本太郎が愛したのがわかるような気がします。
この石仏にはこんな伝説があります。
明暦3(1657)年、諏訪高島藩主の諏訪忠晴が石の鳥居を寄進しようと、石工に依頼しました。石工がこの辺りの大きな石にノミを入れたところ石から血が流れたのです。石工は驚き恐れて鳥居を造るのをやめて、阿弥陀如来仏を刻みました。それがこの石仏だといわれています。
石工は夢枕に上原山に良い石材があると告げられ、無事鳥居を完成しました。春宮境内入口の鳥居が同じ石工により作成されたと伝えられています。
万治の石仏のお参りの仕方です。
①正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じます。
②石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに3周します。
③正面に戻り、「よろずおさめました」と唱えてから一礼します。
筆者もこの通りにお参りし、心身の健康をお願いしました。
【御柱祭】(おんばしらさい)とは
正式には「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)」といいます。6年ごと寅年と申年に、御柱の建て替えと宝殿の造営が行われる諏訪大社最大の行事で、天下の大祭、日本三大奇祭の一つといわれています。
御柱祭は大きく分けると、「山出し」と「里曳き」があります。
下社では、通常3月に下諏訪町の東俣国有林からもみの巨木(高さ約17m・直径約1m・重さ約10t)8本を伐り出し棚木場(たなこば)に置きます。4月はじめ棚木場から注連掛(しめかけ)までの約12㎞を曳行(えいこう)する「山出し」が行われます。その直前に木の皮が剥がされ、きれいに磨かれます。途中「木落し坂」から最大の見せ場である「木落し」が行われ、山出し最終地点の注連掛へ曳きつけ、5月の里曳きを待ちます。
天下の木落し坂
下社の御柱木落しが行われる場所に立派な記念碑がありました。
若者たちが群がりまたがった御柱を、傾斜度45度近い崖のような坂上から一気に引き落とします。その反動で大半は放り出され転がり落ちます。豪快さで知られる御柱祭の最大の見せ場である下社の「木落し」はこの坂上から落とされます。
「男見るなら七年一度 諏訪の木落し坂落し」と唄われてきました。
通常、木落しは春宮・秋宮の8本を3日間にわたって行われます。
模擬御柱(もぎおんばしら)
御柱祭に使用されるものと同じもみの木が設置されていました。樹齢約100年の大木です。近くでみると迫力があります。
2022年下社の山出しは、諸般の事情から4月8日~10日、御柱祭史上初のトレーラーによる運搬となり、「木落し」は中止となりました。
里曳きに先立って、5月12日、春宮・秋宮それぞれで、新しく建て替えられた東宝殿の竣工祭「葺合祭(ふきあえさい)」が行われ、13日の夜、春宮で御霊代を新宝殿へうつす遷座祭が行われました。
里曳きは人力で氏子の曳行(えいこう)により3日間にわたって行われました。
5月14日、春宮の一・二・四之御柱が、春宮境内のミニ木落しを経て、御柱を建てる場所まで曳き、冠落しまで行われました。
秋宮の一~四之御柱も春宮のミニ木落しから境内を通過して下馬橋(げばばし)まで曳行されました。
5月15日、春宮の一・二・四之御柱が曳き建てられました。
秋宮の一~三之御柱は秋宮の境内まで曳きつけ、秋宮の四之御柱を魁町(さきがけちょう)まで曳きつけて終了しました。
5月16日、春宮三之御柱、秋宮一~四之御柱が曳き建てられました。
里曳きでは氏子たちの騎馬行列や花笠踊り、長持ち奴などが祭に花を添え、木遣(きやり)や掛け声で盛り上げます。
次回は令和10(2028)年の申年に行われます。
令和4年の御柱祭の様子は、【御柱祭】「令和4年御柱祭下社山出し(トレーラー運搬)」、「令和4年諏訪大社御柱祭里曳き」などYouTubeで見ることができます。