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【聖天山歓喜院】妻沼の聖天さまは厄除け・福運・縁結びのご利益!御朱印

聖天さま,埼玉
埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)の聖天(しょうでん)さまは、日本三大聖天の一つに数えられ、「埼玉日光」といわれています。およそ260年前に建てられた本殿外壁の豪華絢爛な彫刻が修復され、2012(平成24)年に埼玉県の建造物として初の国宝に指定されました。

平安時代末期に活躍した武将斎藤実盛(さいとうさねもり)が、領民の祈願所として開基したのが始まりですが、夫婦の縁をはじめあらゆる良縁を結んでいただけるとして信仰を集めています。そんな聖天さんの見どころをご紹介しましょう。

聖天山歓喜院長楽寺とは

山号:聖天山(しょうでんざん)
院号:歓喜院(かんぎいん)
宗派:高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
本尊:歓喜天御正体錫杖頭(かんぎてんみしょうたいしゃくじょうとう)
創建:1179(治承3)年
開基:斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)

聖天山歓喜院長楽寺(しょうでんざんかんぎいんちょうらくじ)は、『平家物語』や『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』などに登場する武勇に優れた斎藤実盛が、1179年に長井庄(現在の熊谷市妻沼)の平和と繁栄を願い、戦死した武士たちの供養に、自身の守り本尊「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」を祀ったことに始まります。

実盛の死後、次男の斎藤実長(さいとうさねなが)が出家して阿請房良応(あしょうぼうりょうおう)となり、1197年に本坊の歓喜院を開創しました。

聖天山歓喜院の見どころ

聖天さま,埼玉

貴惣門(きそうもん) 国指定重要文化財

聖天さま,埼玉
江戸時代末期の1851年に完成した境内入口の貴惣門は、高さ18mの銅板葺きの八脚門。屋根は上下二重。下屋根は前後に二つの切妻屋根を架けてあるので、横から見ると三つの破風(はふ)をもつ珍しい形式です。彫刻が素晴らしく風格があります。

向かって左側に持国天(じこくてん)、右側に毘沙門天(びしゃもんてん)が配置されています。両天とも足元に邪鬼を踏んでいます。
聖天さま,埼玉

四脚門(中門) 熊谷市指定文化財

聖天さま,埼玉
まっすぐ伸びる参道の先にあります。江戸時代初期の寛文の大火で唯一焼けずに残りました。装飾の模様などに室町時代の特徴を持ち、聖天山の建造物の中で最も古いものです。1990年の解体修理の時に瓦葺屋根から銅板に葺き替えられました。地元の人々には“甚五郎門”と呼ばれています。

仁王門 国登録有形重要文化財

聖天さま,埼玉
江戸時代初期1658(万治元)年の建立と伝えられています。1891年台風によって倒壊したため、1894年に再建されました。

聖天さま,埼玉
仁王像は向かって左側が口を閉じた吽形、右側が口を開いた阿形です。

御水屋(おみずや)

聖天さま,埼玉
ここで手と口を清めます。

歓喜院聖天堂  国宝

聖天さま,埼玉
歓喜院聖天堂(かんぎいんしょうでんどう) は、寺伝によりますと、本尊は実盛の持仏で御正体錫杖頭(みしょうたいしゃくじょうとう)です。杖の上部を模した高さ47㎝の置物の中央部に歓喜天と二童子の像が鋳られています。国指定重用文化財であり、秘仏となっています。

歓喜天は、元はヒンドゥー教の神ですが、仏教に取り入れられて仏教を守護する天部の神となりました。歓喜天は、頭が象で体は人間という姿が多く、こちらの歓喜天は約10㎝の二体が抱き合っている姿です。厄除け、財運・福運はもちろん、縁結びなどの強力なパワーをいただけます。

本殿は江戸時代中期に建立されたもので、当時の庶民・農民が浄財を出し続け、44年かけて1780(安永8)年に完成しました。
聖天さま,埼玉

拝殿・相の間(中殿)・奥殿を結ぶ権現造りで、日光東照宮の修復に参加した職人たちによって優れた技術が注ぎこまれ、“埼玉の小日光”と呼ばれてきました。

聖天さま,埼玉

特に奥殿は丸彫り、透かし彫り、地紋彫りなどの技法で、中国の故事にちなんだ題材をはじめ、“布袋と恵比寿の碁打ち”、左甚五郎作と伝えられる“鷲と猿”など豪華絢爛な極彩色の彫刻がなされています。

聖天さま,埼玉

2003~10年にかけて保存修理工事が行われ、極彩色の彫刻が蘇りました。総工費は13億5千万円。そのうち10億は国・県・市の補助金で、3億5千万は寄付でまかなわれました。2017年7月、歓喜院聖天堂は埼玉県の建造物として初の国宝に指定されました。

奥殿の彫刻拝観は700円です。

大師堂(だいしどう)

聖天さま,埼玉
本殿の左手前にあります。1995年11月に立て替えられました。弘法大師を祀り、関東八十八カ所霊場第八十八番結願所となっています。

実盛公像(さねもりこうぞう)

聖天さま,埼玉
貴惣門を入って四脚門(中門)との間の参道の途中右手にあります。1996年、開創818年のご開扉の記念に建立されました。なぜか右手に筆、左手に鏡を持っています。

斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)とは

実盛は、越前(現在の福井県)で生まれましたが、13歳のとき、長井庄(現在の熊谷市妻沼)を管理する斎藤実直の養子となりました。

保元の乱・平治の乱に源氏として出陣

実盛は、平安時代後期の1156年の「保元の乱(ほうげんのらん)」、1159年の「平治の乱(へいじのらん)」で、源頼朝(みなもとのよりとも)や源義経(みなもとのよしつね)らの父である源義朝(みなもとのよしとも)に従って出陣し、大いに手柄を立てました。

しかし、「平治の乱」で源義朝は平清盛(たいらのきよもり)の策略に敗れ、家来の裏切りで暗殺されました。実盛はなんとか落ちのびて長井庄に帰りました。

長井庄は平清盛の三男平宗盛(たいらのむねもり)の領地となりましたが、実盛は宗盛の家来となり、別当として長井庄の管理を任されました。実盛は領民のために開拓、治水、土地改良に努め、住みよい土地を作りましたので、領民から信頼されました。

源頼朝の挙兵には平氏として戦う

1180(治承4)年5月、後白河法皇の次男以仁王(もちひとおう)の平氏打倒の呼びかけに全国の武士たちが兵を上げ、源平の戦いが始まりました。8月、源頼朝が挙兵しました。実盛は平宗盛の恩に報いるために平氏として戦いました。

実盛はこの源平戦で木曽義仲の軍勢と戦います。皮肉にもその義仲こそかつて実盛が救った当時2歳の駒王丸でした。

篠原の戦い――白髪を墨で黒く染めて出陣

1183年、平家軍は木曽義仲追討のため、実盛の生まれ故郷北陸の篠原へと向かいます。

木曽義仲軍の勢いに押されて平氏の軍勢がみな敗走していく中で、実盛は最後尾でただ一騎防戦しました。その大将に目をつけたのが義仲軍の手塚太郎でした。

この時の実盛の姿が『平家物語』巻第7に記されています。

赤地の錦の直垂(ひたたれ)に萌黄威(もえぎおどし)の鎧(よろい)着て、……連銭葦毛(れんぜんあしげ)の馬に黄覆輪(きぶくりん)の鞍(くら)を置いて……

(朝日新聞社『日本古典全書』に拠る)

これは総大将のよそおいです。実盛はこの戦いが自分の最期と覚悟を決めて、主の平宗盛に「故郷には錦を着て帰れ」と故事にあるように、“赤地錦の直垂”を身に着けることを願い出たのでした。

この時代の戦いは、良い敵と見ると互いに名乗りあって堂々と戦うのが常でした。手塚は実盛に名乗ることを求めましたが、実盛は“思うところがある”と言って最後まで名乗りませんでした。

義仲は、手塚の報告からその大将軍がかつて幼い自分の命を救ってくれた実盛だと思い当たり、実盛と親しかった樋口次郎に首実験をさせます。樋口は一目見て実盛とわかり、はらはらと涙を流しました。樋口が語るには、実盛はかねがね“60歳をすぎての出陣には髪を黒く染めて出陣し、老武者とあなどられないようにしたい”と言っていたのでした。

果たして池で首を洗いますと、みるみる白髪の実盛となりました。享年73歳でした。

語り継がれる実盛

武勇に優れ、義理堅く、潔い実盛のエピソードは『平家物語』や『源平盛衰記』、歌舞伎の『実盛物語』、謡曲の『実盛』などに語り継がれました。また、1911~14年に当時の文部省によって編さんされた尋常小学校唱歌に「斎藤実盛」が作曲されました。実盛公像のサウンドモールから流れます。

御朱印

聖天さま,埼玉
こちらは「大聖歓喜天」の御朱印です。本殿近くの授与所にていただけます。

聖天さま,埼玉
この他に以下の御朱印がいただけます。納経料は各300円です。

  • 関東八十八カ所霊場第八十八番 結願所「大聖歓喜天」
  • ぼけ封じ 関東三十三観音霊場第十六番「観世音」
  • 東国花の寺百ケ寺 埼玉第十四番「大聖歓喜天」
  • 彩の国武州路十二支霊場 午年の寺「大勢至菩薩」

拝観について

妻沼聖天山 〒360-0201 埼玉県熊谷市妻沼1511 ☎048-588-1644
境内:無料

国宝歓喜院聖天堂 拝観受付:平日10:00~15:00 土日祝日:9:30~16:00
拝観料:700円

アクセス

  • JR熊谷駅より朝日バスにて約30分 「西小泉駅」「妻沼聖天前」行き 「妻沼聖天前」下車徒歩1分
  • 東武太田駅より朝日バスにて約20分 「熊谷駅」行き 「妻沼聖天前」下車徒歩1分

老舗「千代桝(ちよます)」にて「縁むすび定食」

聖天さま,埼玉
四脚門(中門)そばの「千代桝」は、1869(明治2)年創業以来の注ぎ足しタレを絡めた鰻が名物の店。女性に人気という「縁むすび定食」をいただきました。
聖天さま,埼玉
ミニ鰻丼と稲庭うどん、お新香とフルーツがついて1,650円(税込み)

鰻丼と稲庭うどんという異色の縁結びという意味なのでしょうか?

聖天さま,埼玉
明治時代後期から大正時代にかけて活躍した作家田山花袋の小説『残雪』の舞台になったとか。

☎048-588-0020 11:00~14:00  17:00~20:00 月曜日定休

おみやげには妻沼名物「聖天寿し(しょうでんずし)」

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普通のいなり寿しの3倍ほどある細長いいなり寿し3本とかんぴょう巻き4個がセットになって460円。聖天さま近辺に3店あります。200年以上伝わっているとか。

まとめ

妻沼の聖天さまはいかがでしたでしょうか?

広大な境内、珍しい貴惣門や風格のある仁王門、国宝の豪華絢爛な聖天堂本殿など見どころが多いお寺です。

斎藤実盛が領民の心のよりどころとして開いたという聖天さまは、つねに庶民の安寧を願って受け継がれてきました。

門前の商店街は“縁結び通り”と呼ばれ、“縁結びメニュー”を提供する老舗や200年も前から作り伝えられてきた“聖天いなり寿し”など、聖天さまとともに繁栄し、今も門前町の雰囲気が残っています。是非訪れてみてください。

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ABOUT ME
Written by ゆうこ
卯年、山羊座。元国語教師。趣味は、温泉旅行や食べること。百人一首競技かるたは選手&読手A級。お寺や神社に立つと、幾度もの興亡が繰り返され、再建・再生され、長年月維持し、受け継いできた無数の無名の人々がいたことを思わずにいられません。そういう人々の思いを少しでも伝えられたらと思っています。 共著書:『新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金発行)『花ひらく女学校』(女子教育史散策 明治後期編)

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