パワースポット

牛天神北野神社の撫で岩(ねがい牛)は願いが叶う!パワースポット

牛天神入り口
牛天神は、都道434から一筋入った住宅街の中に、ひっそりとあります。さほど広くない境内の一角に「牛天神会館」という10階建てのビルが建っていて、少し違和感を覚えますが、村の鎮守のお社のような、どこか懐かしい雰囲気がただよう神社です。

撫でると願いが叶うという「撫で岩(ねがい牛)」はどんな岩なのでしょうか?







神社の歴史・御祭神について

牛天神社殿
御祭神は、学問の神様といわれる菅原道真公です。1184年(元暦元年)源頼朝公によって創建されたといいます。

頼朝公は、東国追討の時、ここの入江の松に船をつないで、波が静まるのを待っていました。いつしかうとうととしたのでしょう。夢の中に牛に乗った道真公が現れ、「二つの幸があるだろう。武運満足の後は、必ず社を営み報いよ」と告げました。

頼朝公が夢から覚めてかたわらを見ると、夢の中で道真公が乗っていた牛に似た岩石がありました。果たして、その年の秋、嫡男頼家が誕生し、翌年には動かずして平家を退け、国を鎮定しました。そこで頼朝公は、その牛に似た岩石を御神体として、太宰府天満宮から御魂を勧請し、お社を寄進したと伝えられています。

こうして「撫で岩(ねがい牛)」の牛天神が始まったのです。

石段を上ると、牛の形をしたおみくじの結び所が目に入りました。なんともユーモラスな「白い牛」にふと心がなごみます。
牛天神 牛のおみくじ結び所

願いが叶う!撫で岩(ねがい牛)のパワースポット

「撫で岩(牛石)」はどっしりとした大きな自然石。しめ縄がめぐらされ、立て札には「源頼朝が腰かけた石です 撫でると願い叶います 左側の口元より撫でながらお願いごとをお唱え下さい」と書いてあります。

なるほど左側から見ると、牛の口元のように見えるのです。私も心の中で願いごとを唱えながら、口元から胴の部分、お尻の方へと、やさしく撫でました。広い胴の部分にお賽銭がお供えしてありました。
牛天神 撫で岩・左側から撮影

2016年9月から2017年2月にかけて、NHKで放映された土曜時代劇『忠臣蔵の恋〜四十八人目の忠臣〜』の舞台の一つとなった所です。
諸田玲子さんの小説『四十八人目の忠臣』をドラマにしたものですが、武井咲さん演じる主人公の「きよ」は浅野家の奥勤めの女中。そのきよと、福士誠治さん演じる「礒貝十郎左衛門」(いそがいじゅうろうざえもん)が、たびたび忍び逢いを重ねたのがこの牛天神なのです。

十郎左衛門は、赤穂藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の側用人(そばようにん)でした。

忠臣蔵

元禄15年12月14日、47人の赤穂浪士が吉良上野介(きらこうずけのすけ)の首を討ち取り、主君の仇討ちを果たします。その後、浪士たちは四つの大名家に預かりの身となります。「浪士たちの命をお助けください。愛する十郎左衛門にもう一度あわせてください」と、きよは、この撫で岩を両手で抱えるように撫でて願いをかけるのでした。しかし、浪士たちは切腹。絶望の中で、きよは、女だからできることで忠義を尽くそうと決意します。やがて、きよは、後に六代将軍となる甲府藩主徳川綱豊公の側室となり、七代将軍となる鍋松を生みます。

そのご褒美として、愛する十郎左衛門ら浪士たちの悲願であった浅野家再興が叶うことになるのです。源頼朝に始まって、江戸時代の庶民の信仰を集め、小説やドラマにも描かれた「撫で岩(ねがい牛)」は御利益がありそうですね。

こちらのピンクで可愛らしいねがい牛は願い成就のお守りです。
牛天神 ねがい牛のお守り

境内社の太田神社・高木神社は芸能&金運のご利益

牛天神 太田神社・高木神社
社殿の左側に「太田神社」と「高木神社」が合祀された小さなお社があります。

太田神社は、芸能の神様「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」と「猿田彦命(さるたひこのみこと)」をお祀りしています。以前は、芸能人の信仰を集め、名のある役者が参拝に訪れたとか。もとは貧乏神といわれた「黒闇天女(くろやみてんにょ)」をお祀りしていましたが、江戸時代に貧しい侍を助けたことから、人についている貧乏神を追い払い、福の神を招き入れる神として信仰されました。

「高木神社」は、「宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)」をお祀りしており、五穀豊穣と金運招福の神様です。

そして、もう一つ見逃してはいけないのが、この太田神社と高木神社の左側にある、ハート型のおみくじ結び所です。人と人との縁を結ぶ、恋結びの里、福の神の太田神社・高木神社もパワーをいただけるお社です。
牛天神ハート型のおみくじ結び所

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ABOUT ME
Written by ゆうこ
卯年、山羊座。元国語教師。趣味は、温泉旅行や食べること。百人一首競技かるたは選手&読手A級。お寺や神社に立つと、幾度もの興亡が繰り返され、再建・再生され、長年月維持し、受け継いできた無数の無名の人々がいたことを思わずにいられません。そういう人々の思いを少しでも伝えられたらと思っています。 共著書:『新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金発行)『花ひらく女学校』(女子教育史散策 明治後期編)

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