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空海の有名な言葉

空海は今の世の人々の心にも響く、素晴らしい名言をたくさん残しています。
その中のいくつかを紹介しておきましょう。
① 人は、自分の中に宝を持っていることを知らず、過ちをおかす
自分が持つ価値に気づかず、その価値を上手に利用しようとせずに間違った方向のことを行って、物事がうまくゆかないということです。
② 物事を得た、達したと自ら決めてしまえば、そこで終わってしまう
何か目標を立てて、それを達成したり富を築いたりしたときに、達成したからもう終わりと思ってしまえば、人々の成長はそこで止まってしまいます。
進むもやめるも自分次第なのですが、それによって成長できるかどうかも決まってしまうのです。
③ 人を待ち、時を待つ
人に出会うのもタイミング、何かを行うのにもタイミングがあるということです。
あせってみても、時が熟していないと何事もうまくゆかないのです。
④ 嫉妬という心は、他人と自分を立て分けることから生じるものである
嫉妬することは、成長の妨げにもなり、また他人の足を引っ張るだけです。
他人と自分を比べたところで成功を手にいれることはできません。
⑤ どんなに良く効く薬でも、飲まなければ効かない
何事も知識があっても、実際に行動に移さなければ何の役にも立たないということです。
⑥ いつまでも愚かなままではない。時が来れば花が咲く
現状がひどい有様であったとしても、努力を続けていれば必ずきっと実を結ぶということです。
⑦ 心病の元はただひとつ、無明これなり
知識がない、知らないということは不安や心配を生みます。
不安や心配をなくすためにも学ぶこと、知識を得ることは大切なのです。
⑧ 心暗き時、すなわち遭うところことごとく禍なり
落ち込んでいるときには、悪いことばかりが起きてしまいます。
落ち込んでいるときこそ、心を前向きにすることでよいことを引き寄せるきっかけがつかめるのです。
空海の七不思議

空海にまつわる不思議な話が、あちらこちらで残されています。
きえずの火
広島の弥山(みせん)に、806年に大聖院を開いた空海が修行のときに焚いた火が今も消えずに燃え続け、霊火と呼ばれています。
この火を用いて沸かした霊水は、万病に効くと言われています。
また広島の平和記念公園の「平和の灯火」の元火にも使われました。
錫杖の梅
空海が錫杖(しゃくじょう:僧侶が持つ杖)を弥山本堂横に立てかけたところ、その杖が根を張り、ついには梅の木になったという不思議なお話。
その梅の木は今も美しく咲いていますが、弥山(みせん)で不吉な気配があると咲かないと言われています。
くわず芋
まだ空海が若いころ、高知県室戸の水掛地蔵菩薩群近くの小川で、老婆が里芋を洗っているところに出会いました。
おなかがすいていた空海は、老婆に里芋をひとついただけないでしょうかと尋ねます。
ところが老婆は芋をあげることを惜しんで「この芋は食べられません」と言ってしまいました。
この言葉のせいで、その里芋は以後煮ても焼いても食べられなくなり、「不喰芋(くわずいも)」と呼ばれるようになりました。
しかし空海は、この芋に薬効を残し胃腸の妙薬として現在でも親しまれています。
一夜建立の岩屋
室戸岬の灯台の裏手に空海が807年に建立した「室戸山明星院・最御崎寺(むろとさんみょうじょういん・ほつみさきじ)」があります。
このお寺に向かう道沿いに大きな洞窟があるのですが、これを空海が一夜にして作り上げたというのです。
とても一夜で作れるような大きさではないのですが、空海の霊力なら不可能ではなかったのかも?
鐘石
空海が建立した最御崎寺の境内に今もある大きな石は「鐘石」と呼ばれ、備えられている石でその鐘石を叩くと、石とは思えないような金属的な音が響きわたります。
その音は冥界にまで響くと言われており、空海の霊力を借りて願いが冥界にまで届くようになったのではないのでしょうか?
目洗いの池
かつて修行中であった空海は、室戸岬で眼病に苦しむ人と出会い、心を痛めます。
そして近くにあった池の水に眼病平癒の願いを込めて儀式を行いました。
すると池の水は清らかな霊水となり、その水で目を洗うと病気が治ったという言い伝えがあります。
この池は海岸のすぐ近くにあるにも関わらず、真水をたたえており、これも空海の霊力のなせる業なのかもしれません。
捻じれ岩
これもまだ空海が若かったころのお話です。
修行中の空海の身を案じた母が、空海の様子を見るために香川県から室戸へと旅に出ました。
ところが途中で嵐にみまわれて母は倒れてしまいます。
それを察知した空海が、呪文を唱えて岩を捻じ曲げて洞窟を作り、そこに母を避難させたのでした。
その岩は現在も最御崎寺に向かう途中で見ることができます。
まとめ
弘法大師としても知られている空海は、仏教のみならず文化や芸術、教育など幅広い分野で活躍を続けました。また、子供のころからの彼の不思議な行動が、今もなお言い伝えられているのです。



