江戸三十三観音札所、御府内八十八箇所札所として親しまれ、また、東国花の寺百ケ寺に数えられる桜の名所でもあります。江戸の面影を残し、多くの人々の憩いの場所となっている護国寺をご紹介しましょう。
目次
護国寺とは
山号:神齢山(しんれいざん)
院号:悉地院(しっちいん)
寺号:護国寺(ごこくじ)
宗派:真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
本尊:如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)
開基:桂昌院(けいしょういん)
開山:亮賢(りょうけん)
護国寺は、1681(天和元)年、第5代将軍徳川綱吉が母桂昌院の願いを受けて、現在の群馬県高崎市にある大聖護国寺の亮賢僧正を招いて開創され、翌年堂宇が完成しました。桂昌院の念持仏である琥珀(こはく)如意輪観世音菩薩像を本尊としました。
護国寺は徳川幕府の祈願寺であったため、明治維新後、経済的な苦境に陥りました。1873年、明治天皇の第1皇子が死産となったのをきっかけに、5万坪あった境内の東側の半分に皇族の墓所、豊島岡墓地が造られました。また、西側の5千坪は陸軍墓地となり、護国寺の境内は2万坪に縮小されました。その後一般の墓所を造成し、三条実美(さねとみ)、大隈重信、山県有朋など著名な政財界や文化人の墓が多くあることでも知られるようになりました。
1883(明治16)年と1926(大正15)年に火災で多くの堂宇を焼失しましたが、本堂は元禄時代の姿をとどめています。大正から昭和初期にかけて、実業家・茶人であり、護国寺檀家総代を務めた高橋箒庵(そうあん)氏によって境内が整備され、今日に至っています。
護国寺・仁王門
丹塗りの八脚門、切妻造で、江戸時代中期の建立。
向かって右側に阿形、左側に吽形の金剛力士像が安置され、寺を守っています。
この仁王像が、夏目漱石の『夢十夜』という小説の第六話に登場します。「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。」と始まります。
運慶は鎌倉時代の仏師ですが、見物人は自分も含めて明治の人間。運慶の仏師としての素晴らしさを夢の中の出来事を通して描いています。ちなみに実在する護国寺の仁王像は運慶作というわけではありません。
仁王門の背面には、向かって左側に四天王の増長天、右側に広目天が安置されています。仏法の守護神として、かっとにらみつけたり、眉をつりあげたりした険しい形相が多いのですが、こちらの二天は穏やかな表情のイケメンです。
護国寺・水屋
仁王門をくぐり、白い敷石の参道を行くと、左右に丹塗りの水屋があります。同形の水屋が二つあるのは珍しく、どちらで清めようか、何か違いがあるのかと迷ってしまいました。違いはないようです。
護国寺・不老門
1938(昭和13)年に建立されました。京都鞍馬寺の鎮守社である由岐神社の拝殿をモデルに設計されたといわれています。扁額の「不老」の文字は、徳川宗家第16代当主家達(いえさと)氏の筆によるものです。
仁王門と本堂との中間にあり、石段の途中、門の間から見える本堂のみどりの屋根がきれいです。
帰り、この不老門から仁王門を見下ろす風景も素敵で、しばし心が奪われました。
護国寺・本堂(観音堂)
不老門をくぐると、白い敷石の参道の向こうに本堂がどっしりと構えていました。その美しく風格のあるたたずまいに思わず足が止まってしまいました。
現在のものは、1697(元禄10)年に幕府の命令により新造営されたもので、元禄時代の建築工芸の粋を結集して建築されました。
関東大震災や第二次世界大戦の空襲に見舞われながらも、当時の姿をとどめ、江戸の面影を残している建物です。
1682年に本堂が落成した時は、桂昌院の念持仏である琥珀如意輪観世音菩薩像が本尊として安置されましたが、その後、絶対秘仏となりました。現在は、1700(元禄13)年、山形藩主堀田正虎の母栄隆院が寄進したと伝えられる六臂(ろっぴ)如意輪観世音菩薩像が本尊として安置されています。
如意輪観音は六本の手で、六道(地獄道、飢餓道、畜生道、修羅道、人間道、天道)に迷う人々を救ってくれます。右手の一つに意のままにさまざまな願いを叶える如意宝珠を持ち、左手の一つに仏の教えが尽きることなく世界に巡ることを表す輪宝を持ち、右膝を立て、右手の一つを頬に当て、人々をどう救おうかと思案している姿です。
なんといっても本堂前が一番のパワースポットです。
毎月18日(5月を除く)午前9時から午後4時まで本尊が開帳され、法要が営まれます。
護国寺・境内の桜
東国花の寺百ケ寺に数えられるだけあって、境内のあちこちに桜が咲いていました。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳(ひとみ)をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
これは、1926(大正元)年に発表された三好達治の「甃のうへ」という詩で、護国寺や京都のお寺などを思いめぐらせて作ったそうです。
私が1回目にお参りした時は3月下旬で桜は満開でした。そして、2回目は4月初旬の午後で、風が吹いて花びらがはらはらと流れていました。「あはれ」は「ああ」という感動のことばです。私も本堂のみどりの屋根を背景にピンクや白の桜のはなびらが流れる情景に感動し、行く春を惜しみました。
護国寺境内も広く素晴らしいですね、御府内八十八ヶ所を平成のうちに参拝しようと4月2日に行きました、姪の長男と一緒に行きました、桜も見事でした。本堂、六地蔵、大仏感動していました。令和のお参りをしたいです。
ご訪問ありがとうございます。
本堂のみどりの屋根と色とりどりの桜とのコントラストがきれいですね。ほっとする空間です。どうぞ令和のお参りもなさって癒されてください。