1960年代後半から1990年頃にかけて、世界中にその名を馳せた「サイ・ババ」。日本では「サイ・ババ」として知られていますが、本名は「サティヤ・サイ・ババ」です。
そのサイ・ババの偉業や不思議な霊能力には、いったいどのようなものがあったのでしょうか?
サティヤ・サイ・ババ奇跡や霊能力にまつわる5つの話
サティヤ・サイ・ババとは
1926年、南インドの貧しい村で生まれたサティヤ・サイ・ババの本名は、サティヤ・ナーラーヤナ・ジュという名前でした。
小さい頃より不思議な霊能力を持ち、14歳のときに1918年にこの世を去ったヒンドゥー教のヨガ行者で、聖者として崇められていたシルディー・サイ・ババの生まれ変わりであり、ヒンドゥー教の神であるシヴァとシャクティの化身として降臨したと自ら宣言し、サイ・ババと改名したのでした。
1940年代になるとインド各地で説法を行い、人々の病を治したり奇跡を起こし続けたことで、その名はインド中に広がり、インドのスピリチュアル・リーダーの地位を確立したとされています。
ガヤトリーマントラとサイ・ババ
インドで最高のマントラと呼ばれているのが、ガヤトリーマントラです。このマントラを日々唱えて波動を上げることで、病気を癒し、魂を向上させ、奇跡も起こせるパワーを持てるとされています。
自分で唱えると悟りを開けるだけでなく、周囲の人々にもよい波動を与えるとされています。このガヤトリーマントラをサイ・ババが唱えると、最強のマントラになると言われていました。また、サイ・ババが、このマントラを誰でも唱えやすいように、その唱え方を改良して伝授して広めたとされています。
サイ・ババの奇跡
彼が行っていた奇跡と呼ばれる行動の中で最も有名なのは、手から聖灰(ビブーティー)や貴金属を出すという、手品のようなものでした。
そのため、イカサマ師ではないかという噂も立ち、テレビ番組などで、それがトリックであることが次々と暴かれたため、一時彼の人気も下降してしまいます。
しかしサイ・ババは、それを否定も肯定もせず、「自分が誰であるかを知ってもらうために、この奇跡と呼ばれる物質化を見せているだけだ」とコメントしていたそうです。
実際、彼の伯父はプロのマジシャンであり、サイ・ババも子どもの頃から、この伯父にマジックを習っていたことも自ら明かしています。
サイ・ババの霊能力
物質化がトリックであったとしても、サイ・ババはなんらかの霊能力を備えていたと考えられています。実際に彼は多くの病人を癒し、奇跡を起こしたために、インドのみならず、世界中に信仰者を持つようになり、インドだけでなく海外の重要人物たちも、彼を崇拝していたと言われています。
また、インドの聖者であるアガスティアが、紀元前3000年ごろに残した予言を伝えるとされる「アガスティアの葉」というものがあり、サイ・ババは、このアガスティアの葉に、全人類の個人情報が書かれていて、サイ・ババにお目通りが叶った人の中には、その情報を教えてもらうことができたのだそうです。
このほか、何か悩み事があると、サイ・ババに世界中どこからでも手紙を書くと、その悩み事が不思議と解決したことも有名な事実です。決してサイ・ババはひとりずつに返事を書くわけではなかったのですが、手紙を書いているという行動をサイ・ババが認識し、それを投函することで、事態が好転するようになったと考えられています。
その後のサイ・ババ
一時イカサマ師であるとか非難を受けたサイ・ババでしたが、1990年代後半から社会奉仕に力を注ぐようになり、無料の学校や病院を建てたり、水に関する教育をアフリカなどでも始めたりと、人々のためになる事業を多く行ったことで、再び注目を浴び始めると同時に信者を増やしていったとされています。
また、世界中でサイ・ババの聖灰や写真など、多くのグッズが販売されていますが、実は彼自身はこれを認めていなかったとされています。名前を使われて勝手に商売をする人たちのことを、決して快く思っていなかったのです。
サイ・ババは2011年4月に85歳でこの世を去りましたが、葬儀は国葬で多くの人が参列し、彼の死を悼みました。
まとめ
いかがだったでしょうか?
インドのスピリチュアル・リーダーであるサイ・ババの人生も紆余曲折があり、奇跡を起こす聖人と思えば、イカサマ師と非難をされたり、非常に波のある一生だったようですね。でも最終的には多くの人の役に立ち、崇拝されていた素晴らしい人だったのではないでしょうか?
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