
「名探偵シャーロック・ホームズ」シリーズで有名な著者、アーサー・コナン・ドイルは、小説家としてだけではなく医師でもありながら、徐々にスピリチュアルな事に興味を持ち始めました。
では、コナン・ドイルが実際に体験した霊現象や心霊術に関する不思議な話をご紹介します。
コナン・ドイルとは
1859年にスコットランドで生まれたアーサー・コナン・ドイルは、「名探偵シャーロック・ホームズ」などの推理小説家として、またほかにも歴史やSF小説家としても有名です。しかしコナン・ドイルの本職は眼科医であり、小説は暇つぶしに書き始めたのが始まりだったそうです。
医師であるがゆえに彼本来の考え方は、心霊現象などには非常に否定的であったのですが、当時世界的に有名であった人々が次々と、スピリチュアリズムの出版を手掛け、そんなに多くの人が興味を持ち、信じている霊的な現象について注意を払うようになっていきました。
そして自分が主治医をしていたイギリス海軍将軍の自宅で開かれた交霊会で、驚くべき物体移動のアポーツ現象を目の当たりにして、スピリチュアリズムについて深く考えるようになっていったとされています。
なぜ心霊現象を信じるようになったのか
もともと心霊現象に興味を持ち始めていたコナン・ドイルではありましたが、第一次大戦で友人や身内を多くなくしたことから、より一層スピリチュアルの世界に興味を持つようになりました。
そして「交霊会」にしばしば参加するようになり、そこで霊媒師を通して様々な霊的体験を見たり感じたりしたことにより、霊が起こすなんらかの心霊現象は、気づきを起こさせるためのお知らせであり、それはその後に続く霊からの何らかのメッセージへと繋がり、そのメッセージをひもとくことが重要であると彼の書物である「コナン・ドイルの心霊学」にも記されています。
妖精事件
1916年頃、イギリスのコティングリー村に住む従姉妹同士であった11歳のフランシスと16歳のエルシーは、森でいつも妖精たちと遊んでいると主張していたのですが、誰も信じようとしませんでした。
そこである日、自分たちが妖精たちと遊んでいるところを写真に撮影し、大人たちに信じさせようとしたのでした。そこには背中に羽根が生えた小さい人物が、複数撮影されていたのでした。その写真を見た彼女たちの父親は、コナン・ドイルに写真の鑑定を依頼し、ドイルが「この写真は本物である」と言ったことから、世界中が大騒ぎになったのでした。しかしその妖精の写り方が、偽造であるようにも感じられ、物議をかもしていました。
ところが二人が老婆になった1983年に、アメリカのタイム誌に、実はこの写真がトリックであったことを告白しています。なぜそのときに正直に言わなかったのか、それは本当に妖精を何度も見ていたのは事実であったことと、ドイルに恥をかかせないためだったと言われています。
推理小説家、アガサ・クリスティの失踪
「オリエント急行の殺人」などの推理小説で知られるアガサ・クリスティが36歳ごろ、夫の不倫が原因で失踪事件を起こしていました。結果としては11日後に、別名で宿泊していた保養所で無事に保護されています。
しかし、当初は自殺したのではないかなどの多くの憶測があり、コナン・ドイルはアガサの夫と会い、彼女の手袋を手に入れ、それを持ってドイルが信頼していた霊媒師のホラス・リーフを訪ねています。
リーフは、サイコメトリーという方法を用いて、「アガサが死んでおらず、半ばぼーっとしているけれど、意図を持って行動をしており、次の水曜日に見つかるでしょう」と予言をしました。そしてアガサはその通りに発見されたのでした。
死後のコナン・ドイル
コナン・ドイルは1930年に亡くなっていますが、その直後あたりから妻のジーンと霊交信を行っていました。そして彼の心霊学に関する活動を、妻はその後も引き継いで行っていました。また知人が心霊写真に一緒に写ってほしいと願うと、コナン・ドイルは快く登場し、写真に一緒に写り込んだのでした。
昨今では、お気に入りの霊媒師が見つかると、その霊媒師がトランス状態に入ったときに、英国訛りのコナン・ドイルが出現してメッセージを届けたりもしているようです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
コナン・ドイル自身は優れた霊能力を持っていたわけではないようですが、それでも心霊学の礎を築きあげた一人であることには違いないでしょう。
あなたもどこかで、彼の霊的なメッセージを聞くチャンスがいつか訪れるかもしれません。
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