神楽坂の毘沙門天さまは金運&福運が授かる!御朱印頂いてきました

毘沙門天・山門6322

神楽坂通りの両側に、江戸時代創業の老舗からコンビニエンスストアまで、そして、和・洋・中さまざまな飲食店やおしゃれなショップが軒を並べる街「神楽坂」。明治・大正時代には花柳界として発展しただけに、細い露地の石畳や黒塀が今も花街の風情を醸し出している街。

そんな神楽坂通りの中程に、朱塗りの門がひときわ目をひく毘沙門天(善國寺)があります。境内は決して広くありませんが、行き交う人が足を止めて、ふと立ち寄ってみたくなる何かパワーを発信しているように感じるお寺です。

伝統的なものと新しいものが溶け合って、昼夜、老若男女を惹きつける神楽坂商店街の中央に位置する毘沙門天が、金運&福運を授けてくださるというのはなぜでしょうか。御朱印頂いてきました。


スポンサーリンク


 

①毘沙門天(善國寺)の歴史

毘沙門天・本堂6305

毘沙門天は、善國寺という日蓮宗のお寺です。1595年(文禄4年)、徳川家康公の意向を受けて、池上本門寺第12代貫主「日惺上人」により、馬喰町に創建されました。そして、1670年(寛文10年)に火災で焼失したため、自らも毘沙門天を信仰していた水戸光圀公が麹町に再建しました。

その後も享保と寛政年間に火災に遭ったため、1793年ごろに神楽坂の現在地に移転しました。しかし、1945年5月25日から26日未明にかけての東京大空襲で寺の大半が焼失し、翌年木造の毘沙門堂が再建され、1971年に現在の本堂が完成しました。

江戸時代、毘沙門天が神楽坂に移転してくると、しだいに門前町ができ、芝正伝寺・浅草正法寺とともに「江戸三毘沙門」と呼ばれ、「神楽坂の毘沙門さま」として庶民の信仰を集めました。創建から420年余り、神楽坂に移ってからもすでに220年余りの歴史があります。現代では、「新宿山ノ手七福神」の一つに数えられ、新たなパワースポットとして注目されています。

②ご本尊の毘沙門天とは?

毘沙門天・本堂の中の様子6310

ご本尊の毘沙門天像は、新宿区指定有形文化財になっており、木彫で像高30センチ、右手に鉾、左手に宝塔を持ち、磐座(いわざ)に起立した姿勢をとっています。造立時期は室町時代頃と推定されますが、詳しくは不明です。加藤清正公の守り本尊だったとも、土中より出現したともいわれているそうです。

毘沙門天は、古代インドの神話では財宝神でした。中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれたものと考えられます。毘沙門天の梵名ヴァイシュラヴァナは「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天と訳されます。日本では、持国天・増長天・広目天とともに四天王の一尊として安置する場合は「多聞天」と呼び、独尊として安置する場合は「毘沙門天」と呼びます。四天王は仏の住む天上界を守護し、多聞天(毘沙門天)は北方を守護する武神となりました。

「神楽坂の毘沙門さま」は30センチと小さいながらも、右手に鉾を持ち、左手に宝塔を持ち、甲冑で身を固め憤怒の表情で、神楽坂の街を守っているのです。

普段は御簾がかかっていて拝見できませんが、正月の初寅・二の寅の日、5月・9月の初寅の日に開帳されます。


スポンサーリンク


③御利益・御朱印などについて

毘沙門天は、古代インド神話では財宝の神とされました。そして法華経には「仏法と帰依する衆生を守護する」とあります。ですから神楽坂の毘沙門天さまは、金運・開運厄除けの福運を授けてくださるのです。

古来より百足(むかで)は毘沙門天の使いとされ、百の足で福をかき込むことから福百足(ふくむかで)と呼ばれ、開運・招福の御利益をもたらすことで知られています。そのむかでに因んだ御守りが、100年ぶりに2013年から復刻され、ご開帳の日に限って「ひめ小判守」として授与されるようになりました。幅2.5㎝・高さ4㎝の小判には「開運ひめこばん」の文字とその両側にむかでがかわいらしく刻まれています。

毘沙門天・ひめ小判7462

2017年ご開帳は9月12日(火)9時~17時です。財布に入る大きさですので、ご開帳の日に訪れてぜひ手に入れたいですね。1000円です。

毘沙門天・寺務所6316

本堂の右の方に寺務所があり、そこで御朱印を頂きました。納経料は300円です。

毘沙門天・御朱印6376
毘沙門天は「新宿山ノ手七福神」の一尊に数えられていますので、七福神の御朱印も頂けます。七福神の信仰は、『仁王般若経・下巻』にある「七難即滅・七福即生」という言葉が元になって「幸福を招く信仰」として庶民に広がりました。台紙と最初に買い求めた寺社の御朱印代とで800円です。その他6箇所をまわってそれぞれの寺社で頂くことになります。7つ揃うと御利益が激増しそうですね。各300円です。

毘沙門天・寺務所に張り出された新宿山ノ手七福神のポスターや御朱印の見本6317
御朱印だけでなく、新宿山ノ手七福神尊像を1体400円で求めることができます。

「新宿山ノ手七福神」とはこちらの7寺社です。
・毘沙門天(善國寺・神楽坂)
・大黒天(経王寺・牛込柳町)
・抜弁天(厳島神社・余丁町)
・福禄寿(永福寺・新宿7丁目)
・寿老人(法善寺・新宿6丁目)
・布袋尊(太宗寺・新宿2丁目)
・恵比寿神(鬼王神社、歌舞伎町)

しかし、こちらで頂けるのは毘沙門天の尊像だけで、あとの6体はやはりそれぞれの寺社をお参りしないと頂けません。七福神を乗せる宝舟は、毘沙門天、布袋尊の太宗寺、恵比寿神の鬼王神社にて1000円で購入できます。

また、虎の絵の絵馬や幸福お守り・開運厄除け御守、おみくじも頂けます。神楽坂まつりがある7月には、7月限定のほおずきの幸福お守り(500円)が頂けます。

毘沙門天・絵馬掛け所6315
寺務所と本堂の間に藤棚があり、その下におみくじ結び所と絵馬の掛け所がありました。

毘沙門天・おみくじ結び所6314
2007年に人気歌手グループ「嵐」の二宮和也さんが主演したテレビドラマ『拝啓、父上様』で何度か毘沙門天が登場したそうです。それ以来神楽坂毘沙門天は「嵐の聖地」として、さらに拡大されて「ジャニーズの聖地」として、ファンが大勢訪れるようになっています。絵馬の中に「どうぞ○○のコンサートチケットが当たりますように」などと書かれているものがありました。見事に当たった場合はお礼参りにも訪れ、さらに「来年も…」と願いを掛けていくそうですよ。

④毘沙門天(善國寺)の見所

・本堂と石虎

毘沙門天・石虎(吽形・左側右側)

朱塗りの本堂は堂々として威厳があります。石段の上がり口で珍しい阿吽(あうん)の石虎が迎えてくれます。毘沙門天が寅年、寅の月、寅の日、寅の刻に生誕されたことから、虎が守りとなっているのです。

石虎は都内でも珍しく、新宿区では唯一だそうで、新宿区指定有形民俗文化財になっています。安山岩製で、本堂右側の阿形が82センチ、左側の吽形が85センチで、台石・基壇部も含めると2メートルを超える大きなもので、迫力があります。

江戸末期の1848年(嘉永元年)に周辺の住民によって寄進されました。1945年5月の東京大空襲で特に左側の吽形が損傷を受けましたが、生き残ったつわものたちです。右側の阿形の石虎は今にも動き出しそうです。これらの石虎が毘沙門天パワーの発信源かもしれません。

・浄行菩薩

毘沙門天・浄行菩薩6300
本堂の左側に、美しく涼やかな浄行菩薩が安置されています。浄行菩薩は『法華経』に登場する「四菩薩」の一尊で、釈迦亡き後の末法の世に仏法を護持するとされています。こちらの浄行菩薩は、「身代わり菩薩」ともいわれ、自分の体の悪い所と同じ所をひしゃくで水をかけて洗い、拝むとよくなるご利益があるそうです。

私が行った時、背広姿の初老の男性が一生懸命布で洗って、拝んでいらっしゃいました。どこか悪いところがあるのでしょうか。あるいはどなたかご家族に代わって祈っていらっしゃったのでしょうか。

・開運 出世稲荷社

毘沙門天・出世稲荷6313
浄行菩薩の隣には、出世稲荷の小さな祠があります。赤い幟がはたはたと風になびいていました。
「出世稲荷」というとこんな話を思い起こします。太政大臣となった豊臣秀吉が京都に聚楽第を造営するときに、日頃から信仰していた稲荷神社を邸内に勧請しました。その翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸され、稲荷神社を参拝された時、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けられたというのです。

善國寺(毘沙門天)のホームページには何も触れられていませんが、「出世」という言葉が金運・福運をもたらす毘沙門天にふさわしいとして、境内に祀られたのでしょうか。若い女性がかなり長い間心を込めて拝んでいらっしゃいました。

⑤アクセス

所在地:東京都新宿区神楽坂5-36
JR 総武線「飯田橋駅」西口より徒歩7分
東京メトロ 有楽町線・南北線「飯田橋駅」B3より徒歩5分
東京メトロ 東西線「神楽坂駅」A1より徒歩6分
都営地下鉄 大江戸線「牛込神楽坂駅」A3より徒歩6分

⑥周辺の見所

・神楽坂若宮八幡神社:東京都新宿区若宮町18

神楽坂・若宮八幡神社6333
毘沙門天のすぐ脇の道(神楽坂下側)を道なりに5分ほど下っていくと、左側に若宮八幡神社があります。御祭神は仁徳天皇と応神天皇で、1189年(文治5年)に源頼朝公が奥州征伐後に鎌倉の鶴岡八幡宮から分社して創建しました。住宅街の中にあって境内は狭いですが、江戸時代はかなり広大で、ここで奏でられる神楽が聞こえたことから「神楽坂」という地名になったといわれています。

若宮八幡神社・御朱印6378

右側の社務所でお願いすると御朱印が頂けます。初穂料は300円です。

・筑土八幡神社:東京都新宿区筑土八幡町2-1

筑土八幡神社5236
毘沙門天の向かい側、本多横町と大久保通りが交わる角に、筑土八幡神社があります。御祭神は応神天皇と神功皇后と仲哀天皇で、創建は嵯峨天皇の御代(809~823年)といわれています。石段の途中にある石造の鳥居は1726年(享保11年)に建立されたもので、新宿区内では最古の石造鳥居で新宿区登録有形文化財になっています。

また、1664年(寛文4年)に奉納された石造の庚申塔があります。桃の枝を持った雄猿と雌猿があしらわれた珍しいもので、新宿区指定有形民俗文化財になっています。神楽坂の地名由来の神楽の音色はこちらの神社からであったという説もあります。

・牛込総鎮守 赤城神社:東京都新宿区赤城元町1-10

赤城神社
神楽坂上からさらに早稲田方面へ坂を上がって、地下鉄東西線「神楽坂駅」から徒歩1分ほどのところに赤城神社があります。1300年(正安2年)の創建と伝えられ、御祭神は磐筒雄命(いわつつおのみこと)と赤城姫命(あかぎひめのみこと)です。

江戸時代には「日枝神社」「神田明神」とともに「江戸の三社」と称され、牛込の総鎮守として崇められました。2010年9月に「赤城神社再生プロジェクト」が完了し、「あかぎカフェ」「あかぎ寄席」「あかぎマルシェ」を併設した新しいスタイルの神社として生まれ変わりました。慌ただしい日常からほっと一息つけるスポットとして人気を集めています。

「青うさぎの御朱印帳(1000円)」の授与が始まり、七夕祭には縁結びの祈願が行われるということです。


「神楽坂の毘沙門天さまは金運&福運が授かる!御朱印頂いてきました」はいかがでしたでしょうか?
神楽坂には、隣接する大学の学生たちも気軽に入れる店から、政財界や芸能界の人たちがひそかに訪れる粋な店まで存在します。

神楽坂は、明治時代以降多くの文人たちにも愛されました。夏目漱石もその一人で、代表作の一つ『坊っちゃん』に、「神楽坂の毘沙門の縁日で八寸(24センチくらい)ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったが…」と描かれています。そんな神楽坂の街を守護し、街に金運・福運をもたらしてきたのが「神楽坂の毘沙門天さま」です。

毘沙門天・ほおずき市

毘沙門天(善國寺)の「節分豆まき式」「花まつり」「お会式」「ほうろく灸」などの行事もさることながら、特に7月、神楽坂通り商店街主催の「神楽坂まつり」では毘沙門天が中心地となって、「ほおずき市」や「阿波踊り大会」が催され、多くの人々が訪れます。

毘沙門天・まつり

現在ではあたりまえになっている寺社の縁日も、実はこの毘沙門天が発祥地なのです。1887年(明治20年)のことでした。

そして今また新たに「嵐の聖地」「ジャニーズの聖地」としても知られ、若い世代も足を運ぶスポットとなっています。

2017年の「神楽坂まつり」は、7月26・27日が「ほおずき市」(17:30~22:00)、7月28・29日が「阿波踊り大会」(19:00~21:00)です。
ご本尊のご開帳は、正月の初寅・二の寅の日、5月・9月の初寅の日で、一番近いのは9月12日です。金運・福運の御利益を授かりに訪れてみてはいかがでしょうか。

スポンサーリンク

あなたの好きな人は本当に運命の人?

97%の人が当たっていると実感!

その中でも恋愛運が女性から大人気!片思い中の人も、いまお付き合いしている人も、自分の本当の運命の人は誰なのか知ってみたくないですか?

あなたの誕生日や血液型などの情報を元に導き出される『六芒星占術』が大好評!

いつ、どこで運命の人と会えるのかも今なら≪無料鑑定≫してもらえます。

恋愛運が気になる方は、是非お試しを!

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ある程度の長さの平仮名や漢字が含まれないコメントは受付けておりません。(スパム対策)

スポンサーリンク

最近の記事

  1. パワーストーン【茶色編】カラー別の意味や種類・選び方について
  2. 夢占い 苦しい
  3. 夢占い 廃墟
  4. 夢占い ギャンブル
  5. 夢占い はしご

スポンサーリンク