マヤ文明の遺跡の不思議

「マヤ文明」の遺跡と呼ばれるものは、現在わかっているだけでも5000はあると言われています。
そのすべてがユカタン半島のメキシコ、グアテマラ、ベリーズにまたがる地域に存在しています。
これらの遺跡が発掘されたのは19世紀でしたが、すべての遺跡が密林の中にかくれた廃墟として存在していたのです。
マヤ遺跡の中で、もっとも有名で観光地になっているのが、メキシコの「チチェン・イッツア」にある『エル・カスティーヨ』です。
ここはピラミッド型の神殿で、マヤの農耕の神で最高神のククルカンが祀られています。
このピラミッドの造りは、四方に作られた階段の段数がそれぞれ91段で、それに神殿の1段を合わせた365段から成っています。
これはまさに太陽暦の1年の日数、365日なのです。つまりこのピラミッドは「マヤ文明」の天文学を表しているのです。
驚くことには春分の日と秋分の日の年に2度、午後に北側の階段に太陽の光が当たると、ピラミッドの下にある蛇の頭の石像が照らされ、最高神ククルカンの羽が北東の階段に現れるような仕掛けがされているのです。
人々はこの様子を最高神ククルカンの降臨と呼んでいました。
また日本やアメリカ、メキシコの研究チームが2017年から航空レーザー測量などを用いて調査を始めたところ、なんとグアテマラ国境付近に南北1400メートル、東西400メートルにもわたる土の基壇が発見されました。
これは今から約3000年前に作られたもので、その基壇に通じる9本の道も見つかっています。
これら以外にも、宗教儀式に用いられた『聖なる泉』とよばれる「セノーテ・サグラド」や、豊穣の神に祈りを捧げるための広大な球戯場跡や、丸いドームのような屋根を持つ遺跡の「カラコル」は天文観測に使われていた建物遺跡で、ありとあらゆる建物がはるか昔の時代に整えられていたのです。
マヤ文明の文字

マヤ人たちは「マヤ文字」と呼ばれる、650から700種類もの文字を持ち、紀元前3世紀頃からそれらを使いこなしていました。
これらの文字はアルファベットなどではなく、動物や人の顔、記号が組み合わされたものでした。
未だにこの「マヤ文字」の解読は終わっていない、謎につつまれたものです。
かつてはこの「マヤ文字」を研究していた人が多くいたのですが、スペイン人が入植したときに「マヤ文字」は禁止され、最終的には「マヤ文字」は失われてしまいました。
「マヤ文字」は実はマヤ人が生み出したものではなく、マヤ地域の西にあるメキシコ湾岸地域のオルメカ文明から生まれたとされています。
この地域の文明からヒントを得たマヤ人たちは、マヤ文字を自分たちで創り上げていったようなのです。
マヤ文字は土器や石に刻んだり、絵文書に用いられ、主に王族の出来事を記するために使われていました。
マヤ文字は文書を記録するだけでなく、文字自体が神聖なものなので、書かれた文字にはパワーが宿り、お守りのようになるとも考えられていました。
マヤ文明の滅亡の謎

「マヤ文明」の滅亡に関しては、実にいろいろな説があります。
何か謎めいた方法で、一斉にマヤ人たちが都市から姿を消したとか、中には幻覚きのこを食べてみんなで死んでいったなどという説まであります。
このほかにも地震や火山噴火、あるいは伝染病説、気候変動説などもあります。
しかしどれもしっくりとくるものがなく、どうやら人口が非常に増えて食糧難になり、その結果病気になる人が増えたことや、戦争が頻繁に起こるようになり、戦争から逃れるために、人々は突然生活していたものを放り出して姿を消してしまったなど、いろいろなことが組み合わさって、滅亡に至ったようです。
もうひとつ、興味深いのはマヤ人たちが大切にしているマヤ暦に従うと、約260年で周期が一周し、一周するごとに都市が放棄されるという予言がなされていたのです。
このいずれが実際に起こったのかは、定かではありませんが、「マヤ文明」はある日突然忽然とこの世から消えてしまったのではなく、おそらく100年ほどかけて、ゆっくりと衰退していったようです。
まとめ
紀元前1000年から16世紀までユカタン半島のメキシコ、グアテマラあたりを中心に栄えていた「マヤ文明」は、複雑な農耕技術や宗教儀式、マヤ文字など高度な文明を誇る不思議な文化と人々だったのです。
▶︎【マヤ暦】の神秘やマヤ暦占いの読み解き方や意味を解説!はこちら



