
37番札所「岩本寺」は、標高300mの高南台地にあり、そばには高知県西部を流れる一級河川であり、四国一の長さを誇る四万十川が流れています。
岩本寺は四国霊場のなかで唯一、5体のご本尊が祀られています。また「矢負い地蔵の伝説」なども存在しており、数ある四国霊場のなかでも、ひときわパワースポットとして異彩を放つ寺院であるといえるでしょう。
それでは、岩本寺にまつわる歴史や伝説、見どころなど、ご紹介していきましょう。
【岩本寺の歴史】
高僧行基が聖武天皇の命を受け「七難即滅 七福即生」を願い、既にあった仁井田明神のそばに、末寺七ケ寺をもつ寺を建立したのが、岩本寺の前身とされています。
ここで説かれている「七難」とは、太陽の異変、星の異変、火災、水害、風害、旱害(日照りなどによる農作物への被害)、盗難のこと。「七福」とは、寿命、有福(富み栄えること)、人望、威光、愛敬、清廉、大量(大きな度量)を指します。
みなさまもご存知の「七福神」は、こちらの七福が具現化した神様なのですね。「七難即滅 七福即生」とはすなわち、難を滅ぼし、福を生み出すことなのです。
さて、岩本寺の前身に弘法大師が訪れたのは弘仁年間のこと。大師はそれまでひとつにまとめられていた仁井田明神の御神体を五つの社に分け、さらに五ケ寺を建立。「仁井田五社十二福寺」と称しました。

この時、五つの社に分けられたのが阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王、薬師如来の五仏。これらは現在でもご本尊として祀られ、岩本寺の唯一無二のシンボルとして安置されています。
明治維新に伴う神仏分離により、五仏と札所は岩本寺に統一されました。しかしながら、後に廃仏毀釈の難に遭い、寺院の半分が崩壊しました。苦難を強いられながらも、明治23年に再興。年々整備を施しながら、現在に至っています。
【矢負い地蔵の伝説】

あるところに、信心深い猟師がひとり。あまりにも獲物が見つからず、これ以上の殺生は意味がないと考え、自分の胸を矢で射たそうです。
命を失ったはずの猟師。
ところが、妻に起こされて傍を見てみると、なんと、矢の刺さったお地蔵様が倒れているではありませんか。猟師は命を取り留めさせてくれたお地蔵さまに感謝し、身代わりとなった地蔵菩薩をこの寺に祀ったそうです。
この伝説にまつわるお地蔵さま「矢負い地蔵」は、2014年に右脇に傷跡がある形で修復されました。納経・御影の授与も、岩本寺納経所で行われています。
【岩本寺の御朱印の特徴】
御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずご本尊にご挨拶するのをお忘れなく。岩本寺の御朱印は5体の仏像が安置されていることもあり、その揮毫も独特。
阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王、薬師如来、それぞれの種字(仏尊を象徴する一音節の真言)が書かれています。力強くもなめらかなその御朱印を、ぜひいただいてみてください。
【岩本寺の見どころ】
仁王門

石柱門を通って、階段を登ると立派な仁王門が出てきます。木造の仁王門は歴史を感じますね。
金剛力士像

本堂

1978年に新築されました。五体のご本尊、阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王、薬師如来が安置されています。天井一面に広がる575枚の絵画はまさに圧巻。画家や全国の一般市民から寄せられたもので、その題材は仏画や日本画の花鳥風月から、なんと、マリリンモンローまで。

ご本尊へのご挨拶と一緒に、鑑賞を楽しんでみてください。
大師堂

岩本寺のなかで最も古い歴史をもつ大師堂。その歴史は200年にのぼるといわれています。矢負い地蔵も、こちらに安置されています。
清流殿

大師堂の右側にある清流殿には、四万十川と沈下橋の天井画が描かれています。
歓喜天堂

大師堂と清流殿の間に立っているのが、歓喜天堂です。木造の円柱堂はとても珍しいですね。
歓喜天堂後ろの石仏にみかんがお供えしてあり心が和みました。
【まとめ】

岩本寺の歴史や伝説、見どころなどはいかがでしたでしょうか。寺院周辺には「松鶴堂」という和菓子屋や、評判のアイスクリーム屋さんがあり、活気ある街並みのなかに建立されている岩本寺。写真の石柱門左手にあります、「松鶴堂」という和菓子屋さんで干菓子を買いました。上品な甘さでおいしかったです。
五体のご本尊があるという特徴もさることながら、矢負い地蔵の伝説、天井画など、岩本寺の魅力見どころもたくさんあります。36番と38番の間が長く、歩き遍路はこちらで一泊することも多かったため、宿坊もあります。
五体のご本尊に想いを馳せながら、ぜひ、至福のひとときを過ごしてみてくださいね。
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