
四国お遍路83番の一宮寺は決して大きなお寺ではないものの、「讃岐一宮のお大師さん」として人気のあるお寺です。その秘密は一宮寺に伝わる「地獄の釜」の伝説が関係しているといわれています。一宮寺とは一体、どんなお寺なのでしょうか。ここでは注目の一宮寺の御朱印や見どころをご紹介します。
一宮寺とは
一宮寺は、義淵僧正が大宝年間(701~704)ごろに法相宗の寺として創建し、年号を寺名として「大宝院」としたことに始まります。その後、行基が堂宇を修復し、讃岐一宮である田村神社の「別当寺」とし、「一宮寺」に寺名を改めました。そして、大同年間(806~810)に弘法大師が訪れ、約106㎝の聖観世音菩薩を彫り、本尊として堂宇を再興し、真言宗に改宗しました。

一宮寺は、戦国時代に長宗我部の兵火により焼失しましたが、その後、中興の祖とされる宥勢大徳により再興されました。そして、江戸時代の延宝7年(1679)に高松藩主によって別当寺の役割を解かれます。
江戸時代以前の神仏習合時代には、「一宮」はその地域で最も格式の高い神社とされ、その神社を管理するために置かれたのが「別当寺」でした。高松藩主が「一宮寺」から別当寺の役割を解いたのは、讃岐一宮である田村神社と一宮寺が同じものと見られ、神社とお寺が混同されていたからだという一説があります。
他の国にも、例えば四国でいうと、阿波・土佐・伊予にもそれぞれ「別当寺」がありましたが、それらは明治新政府の政策「神仏分離」によって役割を解かれました。ところがここ一宮寺は、その200年も前に、お寺と神社が分離されたという珍しい歴史を持つお寺なのです。
そして、現在も一宮寺と田村神社は隣接しており、一宮寺の仁王門は、田村神社の鳥居と向かい合っているのです。
(参考:四国八十八ケ所霊場公式ホームページ 第83番札所神毫山大宝院一宮寺)
一宮寺のご利益
一宮寺のご本尊は、弘法大師が彫ったと伝えられている「聖観世音菩薩」です。聖観世音菩薩は、種類の多い観音像の基本形となる仏像です。仏像の中でも「如来」は悟りの境地に至った仏ですが、「菩薩」はまだ悟りの境地には至らず修行中の仏像です。

観世音菩薩像は、頭に阿弥陀如来を付けていることが多い仏像です。それは、観世音菩薩は阿弥陀如来が変化して、悟りを開く前の姿になっていることを意味しています。「観音経」という仏典に「観世音菩薩は三十三の変化をしてすべての人々を救う」とあります。我々一人ひとりを救うために、「如来」より我々に近い「菩薩」という存在となっているのです。
聖観世音菩薩は、一面二臂(顔が1つ、腕が2本)の姿で、観世音菩薩の初期の姿を表しています。後に生まれた十一面観世音菩薩や千手観世音菩薩などの変化観音と区別するために「聖」がつけられたのです。
そんな聖観世音菩薩が祀られている一宮寺のご利益は幅広く、「七難」という災難から我々を守ってくれます。「観音経」にある「七難」とは、火難、水難、風難、刀杖難(とうじょうなん)、悪鬼難(あっきなん)、枷鎖難(かさなん)、怨賊難(おんぞくなん)です。
火難:あらゆる欲が発する難。
水難:欲におぼれることによる難。
風難:欲に流されることによる難。
刀杖難:己を信じきれないことによる難。
悪鬼難:欲の流入による難。
枷鎖難:欲にとらわれることによる難。
怨賊難:欲を恐れることによる難。 『語彙辞典』より
要は、我々の欲望を戒めているようですね。一宮寺にお参りして「聖観世音菩薩」の名前を一心に称えることによって、さまざまな欲望から解放され、七難から守っていただけるというご利益があるのです。なぜなら「観世音」は、「世の中の音を観ずる、つまり、救いを求めている声を聞き取る」という意味で名づけられたのですから。
一宮寺の御朱印の特徴
一宮寺を訪れるとお遍路さんが他のお寺よりも多いように感じられます。地元の人に聞いても一宮寺は居心地が良いという人が多く、多くの人に親しまれていることが分かります。そんな一宮寺では境内にある納経所にて御朱印をいただくことができます。
一宮寺の御朱印は、中央に本尊に対応する梵字と「聖観音」、右上に「奉納経」、左下に「一宮寺」の墨書、朱印は右上に「四国八十三番」、中央の円に「梵字と蓮華座」、左下に「讃岐国一宮寺」が押されています。また、それにプラスして「地獄の釜」の祠の絵がある緑の印が左上に押されているものがあります。開創1200年記念のものです。

近頃は寺社巡りや御朱印を集めることがブームになったこともあり、御朱印の内容を変える寺社も増えています。好みがあるとは思いますが、四国お遍路参りは1回だけでなく、何度か巡る人も多いようです。そういう人にとっては、同じお寺でも違う御朱印がいただけるのは、楽しみになりますよね。一宮寺のありがたい御朱印ですから大切にしたいものです。
一宮寺と地獄の釜の伝説
一宮寺には古くから伝わる有名な伝説があります。それは、本堂前の左側にあり、薬師如来が祀られている小さな石の祠にまつわるお話です。
昔、お寺の近所に「おタネ」という意地の悪いおばあさんが住んでいました。ある日、おタネばあさんは「一宮寺の地獄の釜といわれる祠には薬師如来さまが祀られていて、祠に頭を入れると、境地が開けるという言い伝えがある。けれど、悪いことをした人がこの中に頭を入れると、扉が閉まって抜けなくなるそうだよ」という噂を聞きました。
そこでおタネばあさんは「そんなことがあるわけがない。」と頭を入れてみたのです。すると瞬く間に扉が閉まり、下の方からゴォーという地獄の釜の音が聞こえてくるではありませんか。慌てたおタネばあさんは頭を抜こうとしましたが、扉はビクともしません。
おタネばあさんは怖くなって涙を流しながら「今まで私は人に意地悪ばかりしてきました。どうかこれまでのことはお許しください。これからは決して意地悪をしません。どうかお許しください」と何度も頼みました。すると、不思議に扉が開き、頭が抜けたのです。それからおタネばあさんは、心を入れ替えて親切になり、近所の人からも親しまれるようになったそうです。

私が一宮寺にお参りしたとき、数人が石の祠の前で、試そうか、どうしようかと迷っていました。「やめた方がいいよ。あなた悪いことしていそうだから、抜けなくなったら大変よ」などと止める声もありました。やがて、中年の男性が、「じゃあ、俺が代表でやってみる。一人くらい試してみなきゃ」と、おそるおそる頭を祠の中に入れたのです。さて扉は…。幸いに扉は閉まることなく、男性は無事に頭を抜くことができ、「ワァー」と歓声が上がりました。
私は、祠の前で手を合わせるだけにしました。全く悪いことはしていないという自信がなかったからです。これを造ったといわれている弘法大師は、人間の「自分は全く悪いことはしていない」というような傲慢な心を戒めるねらいがあったのではないでしょうか。そして、すべての人に人間として正しい行いをしてほしいと願ったのではないでしょうか。
そんな伝説のある石の祠は現在も一宮寺に残されていて、人気スポットになっています。自信のある人はぜひ試してみてください。新境地が開けるかもしれませんよ。
