四国43番札所である明石寺(めいせきじ)があるのは愛媛県、宇和町。宇和町は愛媛県歴史文化博物館をはじめ、宇和文化の里の開明学校、高野長英の隠れ家、申議堂、古墳などが現存する、まさに歴史と文化の町です。
歴史と文化の町で、今なお四国霊場として、存在感を放つ明石寺。その繁栄の裏側には、幾多の衰退の歴史と、時の征夷大将軍、源頼朝の存在がありました。
はたして、どんな歴史がそこにはあったのでしょうか。歴史や見どころ、ご利益などをご紹介していきます。
明石寺の歴史
本来宇和島という土地は、乙女に姿を変えた手観音菩薩がこもった霊地とされており、古来より崇拝の対象とされてきました。その伝承から、かつての寺名は「上げ石寺」とされています。
明石寺の開創の起源は6世紀前半。時の天皇の勅命のもと、渡来仏であった千手観音菩薩像をまつるため、行者がこの地に七堂伽藍(僧侶の住む寺院)を建てたのがはじまりとされています。
弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁13年(822)のこと。来訪時、すでに荒れ果ててしまっていた地を再興するため、嵯峨天皇に奏上してまで、大師は力を尽くしたといわれています。
大師の努力むなしく、再び荒れてしまった七堂伽藍。そこで復興に力を捧げたのが、先に述べた源頼朝なのです。
頼朝は自身の恩人であった池禅尼(いけのぜんに)を弔い阿弥陀如来像を奉納し、山号を「源光山」に改めたといいます。その後、明石寺は繁栄を続け、現代に残る四国霊場となっています。
また、明治維新を迎えるまで、明石寺は神仏習合(日本の神と仏教の融合)の寺院。住職のことは「別当職」と称していたそうです。
明石寺のご利益
明石寺のご本尊は千手観音菩薩。漫画などのモチーフにも用いられる千手観音菩薩は見た目のインパクトも大きいですよね。
見た目のインパクトが強いのは、なんといってもその手の数。その多くの手は、できるだけ多くの人を助けようという観音菩薩の願いと覚悟のあらわれであるとされています。あまり知られていませんが、それぞれの手には、困っている人をくまなく見つけるための目があしらわれているのです。
お賽銭入れが床に切り込まれている形であるのも、明石寺の本堂の特徴です。
明石寺の御朱印の特徴
幾多の困難を乗り越え、宇和島の霊場として繁栄を続ける明石寺。御朱印は境内の納経所でいただくことができます。まずご本尊にご挨拶するのをお忘れなく。
ご本尊である「千手観音」の文字が書かれた明石寺の御朱印。その筆跡は川のごとく、なんとも独特です。
なお、明石寺の住職さんはとても心優しい方ですので、ぜひ声をかけてみてください。その柔和な話ぶりに、あなたもきっと、心優しい気持ちになれることでしょう。
明石寺の見どころ
仁王門
階段を登ったところにある仁王門は歴史を感じます。仁王門の左と右にある大きな草履が立派です。
本堂
明石寺の本堂は明治時代、全国の信者の浄財をもとに建てられたもの。屋根は唐破風造りといわれるもので、左右両端が反りあがり、柔らかい曲線を描いているのが特徴です。

また、内外陣(うちげじん、堂の内外)に施された天井画も見事。国の指定有形文化財にも指定されています。
大師堂
本堂をお参りしたら大師堂へお参りします。
仏足跡
大師堂右にある仏足石です。
鐘楼堂
本堂と大師堂の間、本堂寄りにあります。
延命地蔵堂
夫婦杉
とても立派な夫婦杉です。
弘法井戸
写真左手の道を進んだところにあるのが、手水舎の先にある井戸です。その名のごとく、こちらの井戸で、弘法大師は修行にはげまれたといわれています。
熊野神社
まとめ
明石寺の歴史や御朱印、見どころはいかがでしたか。明石寺の何よりの特徴が、境内の建造物のほとんどが、国の指定有形文化財であるということ。
かつての衰退はどこへやら。現在では指定有形文化財が目白押しの、美しい四国霊場として名高い明石寺。
ぜひ、足を運んでみてくださいね。
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