天神さまといえば菅原道真を思い浮かべますね。菅原道真といえば学問の神様といわれ、特に、受験の時に、多くの人がどこかの天神さまに合格祈願にお参りするでしょう。現在、全国約80000の神社のうち、菅原道真公をご祭神とする天神社は約12000社で、実に15%に相当します。
北九州市戸畑区にある菅原神社は、1116年前菅原道真公が大宰府へ赴く途中、一夜の宿を頼んだお寺に建てられた神社といわれています。どのような伝承があるのでしょうか。菅原神社と道真公にまつわる伝承や御朱印をご紹介します。
目次
菅原神社の歴史

御祭神は、菅原道真(すがわらのみちざね)、須佐之男命(すさのおのみこと、須賀大神のこと)、高龗神(たかおかみのかみ、貴船大神のこと)、大山積命(おおやまつみのみこと)の4柱です。
菅原神社は、以前は天籟寺天満宮(てんらいじてんまんぐう)といい、平安時代は天籟寺というお寺でした。
901年(延喜元年)、右大臣であった菅原道真公は、左大臣の藤原時平に讒言されて、大宰員外帥(だざいいんがいそち)として九州の大宰府(7世紀後半、筑前国に置かれた地方行政機関)に左遷させられます。
京都から大宰府へ赴く途中で、天籟寺に一夜の宿を頼みました。お寺の和尚は、朝までという約束で泊めたものの、一行を怪しみ、まだ夜も明けないのに鶏の鳴きまねを小僧にさせて、道真一行を早々に追い出してしまいました。一行は文句を言うこともなく、お礼を言って旅立ったといいます。後にそれが道真一行だったことがわかり、大宰府に道真公の廟が建立されたときに、この地に勧請したのが菅原神社の始まりと伝えられています。
菅原神社の見どころ
境内では、ブロンズと石造りの2対の狛犬と石灯籠が据えられている堂々とした拝殿が目をひきます。石造りの狛犬はなんともユーモラスな表情で、ふと心を和ませてくれます。
一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居があり、静かで整然とした雰囲気を醸し出しています。こちらは一の鳥居です。
一の鳥居をくぐった参道
二の鳥居
三の鳥居への参道
三の鳥居
一の鳥居の脇に小さな池がありました。
道真公が牛を好んだことから寝牛の銅像や、ここに一夜泊まった時の牛の蹄の跡と伝えられるものがありました。
子牛の像のそばにすまし顔の白いミニ牛像が奉納されていました。なぜかトトロまでも…。
英彦山(ひこさん)を源とする水脈から汲み上げた「天神の水」は、ミネラルを豊富に含む天然水で、近隣の方々がいただきに訪れるそうです。ご利益がありそうですね。
秋の例祭では地域を御神輿が巡行し、夏の戸畑祇園大山笠のお祭り(2016年にユネスコ無形文化遺産に登録)では、合祀されている須佐之男命のご神体を捧持した天籟寺大山笠の御宿となります。
菅公御手洗の池(かんこうみたらいのいけ)
神社から少し坂を下った右側に「史跡菅公御手洗の池」という石碑が建っており、その奥に道真公が天籟寺に宿をとった時に、手足を洗ったと伝えられる池があります。
由緒書きによりますと、この池の水で字を練習すると上達するそうですよ。
池は菅原公園とつながっています。菅原公園は、戦国時代末期天賀城(てんがじょう)があった所で、その名残の石垣と木立に囲まれてひっそりとした神秘的な雰囲気がありました。しかし、連日36度の猛暑が続いていたので、残念ながら池の水は少し濁っていました。
1116年前、大宰府入りを目前にして、道真公はどのような思いで手足を洗ったのでしょうか。

いつもながら素晴らしい記事を読んで感動しました。
以前湯島天満宮に行きましたが、道真公を祭っている神社が12000もあるとは驚きました。
牛が横たわっている事もやっとわかりました。
ここが本家なのですかね、立派な境内ですね、写真だけでもわっかります。
次の記事も楽しみにしています。
ご訪問ありがとうございます。実は私も調べていて驚いたのです。天神社が約12000社もあり、全体の15%にもなることに。菅原道真公の人気度がわかりますね。天満宮の本家は太宰府天満宮と京都北野天満宮だと思います。戸畑の菅原神社は太宰府への通過点ですが、一夜の宿を頼んだことや、御手洗の池や牛の蹄の跡のような伝承があることが魅力です。
ぜひ機会がありましたら訪れてみてください。